【対談】ミラノ東京 ひきこもりダイヤローグ
最終回「対談を終えて」


Milano and Tokyo / Photos: Pixabay / Retouched by Vosot Ikeida

対談を終えて

 

by ぼそっと池井多

対談の始まり

第1回自己紹介・30年前のひきこもり
第2回ひきこもりの語源と男女比
第3回ひきこもり支援と居場所
第4回ひきこもり支援は必要か
第5回暴力的支援団体
第6回インターネット依存
第7回ひきこもりと国民性
第8回なぜ人はひきこもりになるのか

と、8回にわたって連載させていただいた、ミラノに住む新進気鋭の社会心理学者マルコ・クレパルディ博士と私の対談は、おもに2017年4月におこなわれた、夥(おびただ)しい数のメールのやりとりを土台とし、インターネット上の共有ドキュメントで編集したものである。

私は一人のひきこもり当事者であり、精神医療においては一人の患者にすぎないが、「ひきこもり」と「対人恐怖」を日本という国に特有な文化依存症候群(Culture-bound Syndrome)と捉えたがる精神医学の専門家たちの見方には、かねてより頷けないものがあった。

そうこうするうちに、日本以外の国、イタリアでひきこもりが「発見」されたという。いったい外国のひきこもりの実態はどんなものだろう、と考えた私は、イタリアでひきこもりとその家族のネットワークを主宰しているマルコに連絡を取り、さまざまな情報を交換させていただくことにした。

それを、このような連載企画として配信し始めるのに際しては、イタリアの方で受信に遅れがでないよう対等性に配慮し、毎回、日本語版と英語版を同時に発信する態勢をととのえた。マルコは、英語版をさらにイタリア語へ翻訳する手間をかけなければならなかっただろうが、おかげで読者は世界中に広がったようである。

じつは、私はマルコと会ったことはない。
2017年8月に、読売新聞がミラノへ取材に行き、彼を写真入りで報道するまでは、私は彼の顔も知らないまま、対談の配信を進めていった。しかし、人はしばしば発せられる言葉や思想から、その主の風貌が想像できるものである。私が思い描いていた彼の風貌は、実際に写真で拝見したものとあまり大差なかった。

 

議論を楽しむ

よく若い学者というと、

「こんなに本を読んでいるんだぞ」

と言わんばかりに、古今東西の著作から一知半解な引用を羅列して、相手を圧倒しようとする人がいる。けれども、マルコはそういう不毛な知的防衛を張る輩ではなく、純粋に知性と誠意だけで私に向き合ってくれたので、私も楽しく議論を進めることができた。

そして、それは私に、往年の記憶を呼び戻したのである。

本紙「ひきこもり放浪記」に書かせていただいているように、20代の私は日本社会から逃げ、海外へひきこもっていたのだが、宿の部屋にばかり居るわけにもいかず、滞在している町の人や、いっしょに列車のコンパートメントに乗り合わせた乗客や、相部屋となった宿泊客と、いやいやながら言葉を交わさなくてはならないときがあった。

私の目の前にあらわれる人々は、どこの国、どこの文化の人であろうとも、どういうわけか皆同じように議論を好んだ。だが、それはけっして言葉の殴り合いではなく、まるでチェスでも楽しむような、知的なゲームの味わいを帯びていた。初めはしぶしぶ相手をつとめていた私も、いつのまにかすっかり議論に夢中になっていることも多かった。

日本では、私と同じ年代の若者たちが就職し、社員教育を施され、社会人としての人格を形成していたころ、私は放浪先のあちこちで、見知らぬ町のカフェの客と、あるいは安宿で同室に放りこまれた宿泊者と、列車のコンパートメントや船の甲板で行き会った乗客たちと、昼といわず夜といわず議論することにより、大人としての人格を形成していたのかもしれない。

日本には議論を好まない文化がある。議論が始まるとすぐ喧嘩になってしまう。やれ「デキン(出入り禁止)」だ、やれ「チャッキョ(着信拒否)」だ、という飛躍が起こる。そして、これらの飛躍が元に戻らない。だから、議論を続けようと思ったら、相手に同調しているほかないのである。それでは自分の意見が言えない。そのことが、協調性がもっとも優先される日本社会を作っている。

どうやら議論が始まると、論に自己を投影して、勝つか負けるかということばかりが関心事になるらしい。逆にいえば、「議論に負けるのも楽しみのうち」という感覚を知らない。
これでは、いくら小学校から英語教育をほどこすようになったところで、日本人のコミュニケーション能力は容易に世界標準へ達することはないであろう。

 

宿命的な課題

マルコは社会心理学者なので、学者らしく、実証に基づかないことは極力言わない。いっぽう、ただのひきこもりにすぎない私が、自信をもって語れるのはせいぜい自分のひきこもり体験ぐらいであり、その先は想像のおもむくままに、あれこれと勝手なおしゃべりをしてしまう。マルコは、それをたしなめるように話を実証的なレールへ戻すことで、苦労していただろうと思う。

ところが、実証的に語ろうとすると、いつも一つの壁に突き当たる。「ひきこもりに関する具体的な統計データがない」という壁である。

私が対談中にいっているように、「表に出てこないのがひきこもり」であるために、ひきこもり現象に関わる数字が表に出てくること自体がむずかしいという宿命的な課題があるのだ。
たとえば、日本では最近、共同通信が全国の都道府県へおこなったアンケート調査によって、21都道府県が管轄内のひきこもりの実態を明らかにした、というニュースが2017年9月24日に報道された(*1)。各都道府県は、それぞれの地域の民生委員への聞き取りに基づいて、管轄内の統計的な数字を出したようである。

*1.ひきこもり21都府県が把握 40歳以上、過半数も
共同ニュース 2017年9月24日 16:37

ところが、この最新の数字の中にさえ、たとえば私というひきこもりは入っていないのである。私の住む東京都は調査対象から私の年齢層をはずしてしまったようだし、もしもかりに私の年齢を調査対象に含めたとしても、私は自分の町の民生委員など会ったことがない。向こうも私については、存在すら知らないだろう。いわんや、50代の私がひきこもりであるという事実についてをや、である。

このように、マルコがさかんにひきこもり先進国と賞讃してくれる日本でも、ひきこもりの実態はまだ表の数字に出てきているとは言いがたい。実証的なデータに基づいて、世界各国のひきこもり問題が論じられるようになるには、まだかなりの時間がかかることだろう。

 

「世界ひきこもり機構」という構想

対談中にマルコが発言しているように、彼らのウェブサイト「ひきこもりイタリア」は近隣の国スペインからアクセスが多いという。

それを裏づける報道がある。今年2017年4月に、スペインの「ラ・ヴァンガルディア」紙が報じたところによると、スペイン第2の都市バルセロナのデルマール精神病院の専門家たちが、彼らの地方に住むひきこもりの実態を調査した。(*2)

*2.Los hikikomori también existen en España
La Vanguardia  2017.04.15 00:02 GMT
Por MARTÍ PAOLA

ひきこもり当事者の個々の学歴も調査するなど、2016年の日本の内閣府による調査よりも、もっと踏みこんだ調査だったようである。反対に難点は、最近、独立問題で揺れているカタルーニャだけに対象範囲がかぎられており、スペイン全土の調査には遠くおよばないといったところだろうか。

また、「ひきこもりは精神疾患の一つ」という前提で調査されている点も気にかかる。「ひきこもりそのものは、社会的な一状態をいう」という基本を踏み外すことは、さまざまな意味で危険なのである。

上に述べた「ラ・ヴァンガルディア」紙は、

ひきこもりは、最初に日本で症候群として報告され、初めのうちは日本文化の中においてのみ生じる現象だと考えられてきたが、その後、オマーンイタリアインド米国韓国などでも発生していることが報告されてきた。

と報じている。

私自身、フランス国内の何人かのひきこもりとやりとりさせていただいている。そのうちの一人へのインタビューに基づいて記事も出したことがある。(*3)

*3. 【当事者インタビュー】フランスの田舎のひきこもり生活を語る
本紙 2017年5月19日

ひきこもり新聞のサイトには、台湾や香港からのアクセスが多い。韓国にもひきこもりは多いと想定されるが、まだ具体的な確認に到っていない。韓国のひきこもりと連絡を取り合える方は、ぜひ「vosot_just◆yahoo.co.jp ただし◆→@」という私のメールアドレスまでご一報いただけると大変ありがたい。

このように、今やひきこもりはインターネットを媒介として、世界中につながりはじめている。一般の人々は「ひきこもりは外に出てこない人」というイメージを持っているかもしれないが、私たちは実際には部屋から出なくても、ひきこもりのまま外へ出、世界へあふれ、世界でつながっているのである。それはあたかも地上には葉を繁らせていないのに、地中ではびっしりと根を張りめぐらせている、もの言わぬ植物に例えられるかもしれない。

その延長で、たとえば世界のひきこもりがGHO(Global Hikikomori Organization / 世界ひきこもり機構)といった連携を築くことはできないだろうか。世界のアルコール依存症者たちが世界組織A.A(Alcoholics Anonymous)を作ったように、ひきこもりが全世界で連帯することも、けっして夢ではないだろう。

もし、それが実現したならば、マルコが考えているような、なぜひきこもりが現代産業社会で増加しているのか、そして、どのようにその現象は文明の歴史のなかで位置づけられるのか、といった問いも世界中で考えられていくようになるだろう。ひいては、「進歩とは何か」「人間とは何か」といった壮大な問いを、裏側から解き明かしていく契機となるかもしれないのである。

ひきこもりの問題はかくも奥が深い。
可能であれば本シリーズもいずれ続篇を、と考えている。

(ミラノ東京 ひきこもりダイヤローグ 

「ミラノ東京 ひきこもりダイヤローグ 最終回」英語版はこちらへ。

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