【対談】ミラノ東京 ひきこもりダイアローグ 第2回


(写真:ミラノと東京の地下鉄:pixabay :ぼそっと池井多)

<対談者プロフィール>

◆ マルコ・クレパルディ (Marco Crepaldi)
イタリア・ミラノに住む若い社会心理学者。イタリアにおけるひきこもりの増加に対応するべく、イタリア版「ひきこもり新聞」ともいうべきウェブサイト「Hikikomori Italia」を立ち上げ、イタリア国内約170のひきこもり家族の連絡会を主宰している。本紙「ひきこもりは何であり、何ではないか」も参照のこと。

◆ ぼそっと池井多 (Vosot Ikeida)
日本・東京に住む中高年のひきこもり当事者。ひきこもり歴は断続的に30年以上。詳しい履歴については本紙「ひきこもり放浪記」を参照のこと。なお、この対談における発言は、あくまでもぼそっと池井多個人のものであり、本紙「ひきこもり新聞」を代表する意見ではない。

「ミラノ東京 ひきこもりダイアローグ 第1回」

ぼそっと池井多:
イタリアでは、ひきこもりの男女比というのは、どんな感じですか。

マルコ・クレパルディ:
それは面白い質問ですね。
日本の文献によると、日本ではひきこもりの9割は男だと書いてありますね。
イタリアでは、まったく違います。男女比はだいたい男性7割、女性3割といったところでしょうか。
もちろん、これは公的な推計ではありません。イタリアでは、まだこのひきこもり問題に関する調査というものが行われていないのです。前回、言ったように、ひきこもりに関して、イタリアはまだほんの入り口に立ったばかりです。

ぼそっと池井多:
もしあなたが日本の文献で、日本のひきこもりは9割が男性だと読んだのなら、それは公的に「そういうことになっている」というだけかもしれませんよ。
ひきこもりのためのいろいろなネットワークに出入りしている私の個人的な印象からいえば、日本でもイタリアと同じように男性7割、女性3割といったところじゃないかなあ。

これは賛成してくれると思うけど、ひきこもりに関してはある種「宿命的な」問題があるのです。それは、ひきこもりとは表に出ないものから、社会、統計、メディア、研究など、あらゆる表にも実状が出てこないという問題です。そのために私たちが正確なひきこもりの全体像を把握するのは至難の業であるわけですよ。

マルコ・クレパルディ:
おっしゃるとおりです。
あなた自身は、どのようにひきこもり現象をよく知るようになっていきましたか。

ぼそっと池井多:

そうですね。まず「ひきこもり」という語は、今のように頻繁に語られるようになったのは比較的に近年のことだとしても、もともと日本語の自然な語感の中にあったものだと思います。つまり、最近出てきた「ツンデレ」とか「ネトウヨ」とかのように、不自然な略語として人工的に作られた日本語ではない、ということです。

「ひきこもる」という動詞は、昔からありました。その名詞形である「ひきこもり」が、アメリカ精神医学会が編んだDSM-IIIという精神科診断基準の中の「社会的撤退(social withdrawal)」の訳語として充てられたのが、そもそも「ひきこもり」という表現で一連の問題を考えるようになった始まりだといわれています。

私自身が「ひきこもり」という語に出会ったのは、2000年ごろでした。
当時は、自分がその一人だなどとは夢にも思っていませんでした。人々は「ひきこもり」という言葉をひどく悪いイメージで語っていましたから、自分がそうであると思いたくなかったのです。「冗談じゃないよ、私はちがいますから」ってな感じでね。
あのころ人々は「ひきこもりといえば男でしょ」という偏見を強く持ちながら、その語を使っていたことは確かだと思います。

マルコ・クレパルディ:
言い換えれば、当時の日本の人々は、「女性はひきこもりなどにならない」と思っていたのですね。

ぼそっと池井多:

そう言ってよいと思います。女性のひきこもりの存在が「発見された」というか、女性でもひきこもりとして認定されるようになったのは、ごく最近のことにすぎません。

だから、いま私は男性7割、女性3割なんて言っているわけですけど、これだって新たなひきこもりの発見や認定が進んでいる最中のことですから、いずれ将来、もっとたくさんの女性のひきこもりがためらう必要もなくカミングアウトして、統計の表に出てくれば、変わるかもしれません。

マルコ・クレパルディ:
イタリアでもそうですね。

ぼそっと池井多:
一般社会においては、人間は男性5割、女性5割なのだから、ひきこもり人口が最終的に5割5割になっても、ぜんぜん驚きではありませんよね。

イタリアでは、いつ、どのようにして、「ひきこもり」という日本語が使われるようになったのですか。

マルコ・クレパルディ:
イタリア語は、英語など他の言語の単語を借用して、そのままイタリア語の語彙として定着することがよくあるのです。日本語の「ひきこもり」は、今ゆっくりとイタリア全土に広がっていますが、まだイタリアの日常的な語彙にはなっていません。日本語発祥の「ひきこもり」をふつうのイタリア語にするというのも、私がめざしていることの一つなのです。

私が最初に「ひきこもり」という語を聞いたのは2012年、「NHKへようこそ」というアニメ番組でした。私は聞いたすぐその日から使い始めました。なぜならば、「ひきこもり」というのは全世界的な現象で、その現象を呼ぶ世界共通の語が必要だからです。

「ひきこもり」という日本語をイタリア語の中へ入れることで、私たちは共通の認識としてひきこもりを語ることができます。まさにちょうど今、あなたと私が住んでいる国もちがうのに、同じ「ひきこもり」について語っているように。

ぼそっと池井多:
私は、ひきこもりに類いするものということで、「バンボチョーネ(bamboccione / 大きな赤ちゃん)」というイタリア語を聞いたことがあります。「バンボチョーネ」は「ひきこもり」とどこかでつながってますか。

マルコ・クレパルディ:

「バンボチョーネ」は、よくひきこもりと混同されるのですが、それらはまったく違います。

イタリア語で「バンボチョーネ」というと、成人して経済的に自立できるようになったあとも、両親や家族といっしょに住んでいる大人の男性をさします。
イタリア人は実家や出身した町と密着しているものなので、バンボチョーネも家を離れられないのです。

しかし、明らかにバンボチョーネは友だちと外出したり、他人と社交関係を結んだりすることは、何の問題もなくできるので、その意味で「ひきこもり」とはまったく違います。

ぼそっと池井多:

なるほど。それじゃあ、「バンボチョーネ」っていうのは、和製英語の「パラサイト・シングル」に近いのかもね。

日本でいえば明治維新のころまで統一国家ではなかったイタリアは、いまだに地方差が大きいことで知られていますよね。北部と南部、都市部と村落部。それぞれの土地の文化的特徴がとてもちがう、と。
ひきこもりのパターンも、地方によって大きな差が見られますか。

マルコ・クレパルディ:

その質問には答えられません。なぜならば、繰り返しになりますが、イタリアではひきこもりに関する調査が行われていないからです。
しかし私自身の経験や、私がやりとりしている人たちの様子から推測するに、たぶん答えは「ノー」でしょう。
私は、イタリア全土のひきこもり当事者、家族とやりとりしています。ローマ、ミラノ、ナポリなど、イタリアの大都市ではひきこもりの数は増えている感じがしますが、これもあまりはっきりは言えません。あくまでも私の印象です。

・・・「ミラノ東京 ひきこもりダイアローグ 第3回」へつづく
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