【最終回】「引きこもり」のエスノグラフィー


「引きこもり」のエスノグラフィー
(文・写真 喜久井ヤシン)

   これまでに書いてきたこと

 

絶望的な文章ばかり書いていた、ペシミストの極地のような思想家で、シオランという人がいる。神も生命も呪うみたいにして、悲痛な言葉を延々と綴った人だけれど、その人でさえ、書くことそのものは肯定した。
『書くことは、それがどんなに取るに足らぬものであれ、一年また一年と生きながらえる助けになったからであり、さまざまの妄執も表現されてしまえば弱められ、ほとんど克服されてしまうからです。書くことは途方もない救済です。』
……「『引きこもり』のエスノグラフィー」と題したこの連載は、ほぼ一年にわたって、21回掲載された。それも今回で一区切りというか、WEB連載のかたちは最終回となる。今後も何か書くとは思うのだけれど、連載の終幕として、これまでに書いたものをふり返ってみようかと思う。
エスノグラフィーという、多くの人にはなじみのないこの言葉は、文化人類学の研究方法の名称からとっている。研究する対象を外から見て研究するのではなく、自ら中に入り込み、所属して、その内部から対象を記録し研究する方法のこと。私は過去の自分の「引きこもり」の体験を書くつもりでいたけれど、単純に「私」を主語として語るには、飲み込みがたいザラついた異物感があって、距離感のある「自分」を観察するほかなかった。入り込む対象は自分なのだけれど、安易に私自身だなんて語れないその乖離も含めて書こうとしていたので、たんなる自分語りでなく、エスノグラフィーという比喩を用いて語ってきた。

   引きこもって失った時間

 

雑多なテーマを脈絡なく綴ってきたにすぎないけれど、いくつかに共通する主題をあげるなら、一つは「喪失」になるだろうかと思う。一番大きいと思われるのは、人と交流することのなかった、人間的な年月が失われたと感じられる喪失感がある。
「私」がいつのまにか年をとっていて、もう取り返しがつかない、と痛覚するその苦しみは、寒さが骨身に染みるみたいにして、「私」を絞めつけて身動きをとれなくさせていた。
そのことについて書いたものの中に、たとえば以下の回があった。

熱湯に入れられたカエルは激痛に飛び上がるけれど、水の中に入れられて、それをゆっくりと熱せられていけば、水温の上昇が分からないで茹でガエルになってしまう……。
そんな話みたいに、私もまたゆっくりと危機的になる時間の中にいて、長い年月をかけてゆっくりと瀕死になっていったみたいな感じがする。
もしも十年前に……おかしな仮定だというのはそのとおりなのだけど……もしも十年前に、からっぽな「十年」がいっぺんに襲いかかってきたなら、私は飛び上がってその半生を拒みにかかっただろう。でも「十年」は……当たりまえの話で……まる十年の時間をかけてゆっくりと過ぎていった。
(第3回 「私の失った十年の時間」)

   親子関係を考えるために

 

また、養育者についてのことを何度か取り上げている。「私」の場合は、教育マイノリティだったことをきっかけにして養育者との関係を極めて悪くさせたことがあり、その葛藤に悩んできた。過干渉という精神的な虐待にあったことや、対話するためにどのような戦略をとればいいのかを、非力な「私」なりに考えてきた。
「養育者」という言い方自体については、以下のように書いた回がある。

私はある時期から、対話が必要なときには、「親」ではなく「養育者」だと考えるようにした。
「母親」を「女性養育者」、「父親」なら「男性養育者」と。「親と子」ではなく、「母親と息子」でもない。
そこを否定して、人間一人と人間一人の関係にまで持ち込まないと、一対一の理性的な話をすることなんて、私には不可能だった。言葉一つの違いだけれど、わずかな意識の変更から、私はこの関係性をめぐる闘争をしようとした。
(第10回 「親孝行の技術~親を親と思ってはならない~(上)」)

   これからも続く「引きこもり」

 

そして過去の「私」のことでなく、これを書く現在の私自身についても、当然書くことの対象になった。激しい疲労のようなものを感じる経験や、人生の意味についてどう考えているかといったこと。また、以前と違って寂しさを感じるようになったために、自分にはもう引きこもりの素質がなくなったのだろう、と書いたこともあった。……ただ、そうはいっても自分の「引きこもり」的なものが終結するはずはなくて、たとえば学力について語った回では、以下のようなことを言った。

「ウサギと亀」の民話でたとえるなら、大人になって勉強をやめた「眠ったウサギ」を、自分のペースで学びつづけていた亀が追いこしていく…みたいな、学業面での逆転劇だって、ありえることはわかる。
ゆっくりとであっても、歩みつづけていれば、いつかはウサギも敵わない、遠いところにたどり着けるというような。
…ただ、「ウサギと亀」の立場でいうなら、「私」は眠っていた亀になるだろう、と思う。眠ったウサギどころか、歩みつづけていた亀にも追いつけない。
目を覚まして山を見上げたときには、走りづつけたたくさんの優秀なウサギたちも、勤勉な亀たちも、はるかな遠いところにいて、「私」は、致命的な距離にたじろいでしまう。
(第14回 「追いつくことのできない学力」)

   複雑な現実を生きていく

 

たぶんこれからも、「引きこもり」という言葉が使えるような生きづらさは続いていくし、混乱し、痛んで、涙していくことは間違いなくある。それと同時に、自分が書くことも続いていくだろうと思う。初めのシオランの言葉のように、救済というと立派すぎるにしても、少なくとも小さな、日常的でささやかな慰めになってくれるものだとは思っている。
考えることに関して、思想家の内田樹氏が語っていた言葉がある。哲学書は複雑に書かれているようだけれど、それは簡単な現実を複雑にしているのではない。そうではなく、複雑な現実があり、それになんとか対応しようとしている。『だから現実を深く生きている人というのは、必ずある種の哲学者になってしまうんです』と言う。私は自分を哲学者だというわけではないけれど、哲学する人にさせられてしまう、ひきずりこまれている、という現実を生きているようには思う。社会的に広まった言葉にあてはめれば、それは私の「引きこもり」の経験が複雑にした現実があって、考えざるをえないものにしている。
複雑な、生きがたい現実がある以上、私は苦しみ続けるし、「私」を見つめ続けていくし、そして書いていく。……というより、書いていくほかないだろう、と思う。

終わり


1 Comment

  1. 安里犬丸

    連載ご苦労様でした。少し前に、ネットの記事でひきこもり新聞を知ってから、「引きこもり」のエスノグラフィーを拝読していました。過去のものも含めて、すべて読ませていただきました。
    「恐るべきものとしての日常」という文章の、以下の一節がとりわけ印象に残っています。

    「日本で毎日を過ごしていく「日常」が、おだやかで平和に過ぎていくことなんて、「私」の半生ではありえなかった。
    震災の報道に「人生観が変わった」と言う思想家がいたけれど、「私」は頭の良い人が、なんてのうてんきに生きてこられたのか、といぶかった」

    これは、私がずっと感じていた感覚そのものでした。でも、こういう【不謹慎】なことを、正面からちゃんと書いた文章を、私は今まで読んだことがありませんでした。結局は月並みな表現になってしまいますが、自分以外にもこうした世の中との違和感を感じながら生きている方がいるのだということを、初めて知りました。
    ここには挙げきれませんが、ヤシンさんの文章から様々な影響を受け、感動しました。一言お礼を伝えたいと思い、コメントさせていただきました。