親孝行の技術~親を親と思ってはならない~(下)


「引きこもり」のエスノグラフィー

(文・喜久井ヤシン)

親孝行の技術~親を親と思ってはならない~(上)

母親から言われた『もう忘れたら?』

二十代前半のことだった。…私は最大限の理性と気力で、養育者と対峙する時間をもった。
ただ、予想どおり、養育者と私とが見ているお互いの風景はまるで違っていて、対話というには、みすぼらしい、ボロボロのやりとりだった。

私が傷ついた過去の出来事を訴えても、養育者は「もう忘れたら?」といい、「昔のことばかり言っていないで、未来について考えましょうよ」、と励ましまでした。
養育者にとっては、わざわざ終わった出来事をむしかえして、善良な親を責めだす私が、頭の異常なクレーマーに見えるらしかった。
私は子供のころに、何が起きていて、どのように感じていたのかを伝えようとした。けれど養育者は、「お母さんが全部悪かったわけね。ごめんね」、と、開きなおりの態度をとるようになった。
私が話を継ごうとしても、「もう、ごめんねって言ってるじゃないの」と、会話を終わらせようとした。
…この養育者の不真面目さは、私が事件の犯人みたいにして、責めているのだと誤解したせいもあったと思う。
実際には、私にそんな目的はなくて、犯人とか、加害者とか、悪者とか…そんな、判決をくだしたいのではなかった。これは、罪を償えとか、謝罪しろとかいうことではなかったし、むしろ、そんな程度ですむ話ではなかった。

誰が悪いか、ではなく関係性の失敗として

…養育者にとっての、私への対応の仕方は、いずれも「あなたのためを思って」したことだし、「良かれと思って」したことだった。
それは責められるものではないし、十何年もたってから、わざわざむしかえして悪くいわれる筋合いはない、という思いがあるらしかった。

たぶん、私と養育者とがまともな会話をするためには、このあたりの尺度も訂正しないといけない。女性養育者は、親として「良かった」か「悪かった」か、子育てが「上手かった」か「下手だった」かの尺度で、会話にあたっていたのだと思う。そうなる他ない関係性かもしれないけれど、それだと、誰がどのように悪かったのかという話になってしまう。…私の望んでいたのは、そういう判断基準ではない。

私としては、まず、人間二人の関係性に「失敗」している、という一点を主題にしたかった。
「良い」か「悪い」かではない。「上手い」か「下手」かでもない。「成功」か「失敗」かで、「失敗」があったことを共通認識にできないかと思う。
その「失敗」は、親としてでもなく、家族としてでもなく、「親の失敗」でもなく、「子供の失敗」でもない。
別々の人間二人の、「関係性の失敗」があった。それを課題にして、お互いに向き合えないか、と思った。
善良さ…道徳…良心…親愛…贈与…、それらがどれだけ強かったかは、「関係性の失敗」では問われない。
どれだけ「良かれと思って」いようとも「失敗」はあるし、どれだけ成功率が高い方法でも、「失敗」することがある。
犯人探しとか、悪意とか、親不孝とか、そんな言葉は一切いらない。心情や方法論が「良かった」か「悪かった」かは、対話の主題にしてはならない。
そうなってしまった場合は、子供の側が敗北するし、冷静な話なんてなりたたないと思う。二人の人間のあいだに、「関係性の失敗」があって、それを一方が、なかったことにしたり、忘れろと云ったり、成功しているようにふるまったりさせておくことは、私にはできない。
「女性養育者」との「関係性の失敗」が課題であって、それ以外のことがテーマになったら、対話が不能になる。
「親」に自分のことを話そうとするために、私は労力をかけて、この線引きをした。ただこれだけのことにすぎないけれど、私の、小さな人生に関わる、重要な一線だったと思っている。

本当の『孝行』の意味

…「孝行」というときの「孝」の字は、儒教の言葉から来ている。本来は両親への善行をしようと説く道徳ではなくて、先祖・子孫・親戚を含めた、大きな規模をもつ思想だった。
何百年や何千年という歴史も視野に含んで、連綿と生命が続いてきた、一族に対する行いが「孝」だったらしい。

良い子供であれなかった私は、「親不孝」者になるだろうけれど、「不孝」の本来の意味からすれば、親もまた、私に対して「不孝」をしていたと言える。
私が「親」ではなく「養育者」として見ようとするのは、親を捨てるとか、責めるとかが目的なのではない。
「私」と「養育者」の対話から始めて、その結果が、良い方向であれ、悪い方向であれ、これまでの関係性にけりをつけようとしてやっている。
そうしなければ、私はこの先いくら生きても、「あなた」との関係を、「親子」や「家族」だと認めることはできない。
親を「親」だと思わないことから、向きあって、私は、私とあなたに関わる、最低限度の「孝行」をしようとしている。

親孝行の技術~親を親と思ってはならない~(下)以上
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