【当事者手記】10年ひきこもり、5年働き…そしてまた


ひきこもりからの回復って何?

結局、僕は「ひきこもり」から「回復」してなかった」し、過去を乗り越えてもいなかった。薬を飲んでも意識がぼやけるだけで、何も変わらない。これから、僕はどうするのかな?
もし、ひきこもり経験を理由に「別枠」で対応してくれるなら、もう疲れたから、喜んでお願いする…。

今年4月に「TVタックル」の、ひきこもり暴力的支援業者の特集を見た。仲の良かった人まで「ひきこもりを強引に出すのはしょうがない!当たり前だ!」という反応だった。それに対しツイッターで批判するしか出来ない無力さが、私をひきこもり当事者活動に向かわせた。

今なら経験を話せる。もしかして「病気」とは違うんじゃないかな?って思う。「本当の名前」を与えてもらったような。
でも相変わらず、僕は「自分はおかしい」と感じてる。

消えない傷痕

仕事は怖かったけど、社会の中にいる気分になれたから考えなくて済んだ。待遇は最低で、誰からもバカにされてたけど…。だから「出口を求めてひきこもった」。
父は言う。「一体いつ働くんだ?」「このバイトの時給いいな!」「俺はおじいちゃんが亡くなった歳になるんだぞ」
全て分かってる。リオオリンピックの表彰式を見ていたら「お前がオリンピックに出てくれたら、俺はブラジルまで行くのになあ!」父はそういう言葉を「あたたかい言葉がけ」だと思っている。
あの時「家を持ってること」が大事で、引っ越しすらせず、動こうともしなかったくせに!「ちゃんと子供を育てられない親と見られると、出世に差し障る」と、今は僕のことを世間から隠してるくせに!

「あの街」が、僕の全てを決めたんだろうか。それとも、元々こうなる運命だったのかな。
そんな世界に、少しだけでも抵抗したい。結果の平等はいらない。道があればいくらでもやる。でも、そんな物はどこにも見えない。

僕は憎んでいる。あの学校と、それにまつわる全てを。この世界から消し去りたいと思うほど、今も憎んでいる。それは5年間働いても、残念ながら変わらなかった。
今はよく分からない。次の道があるのか、ないのか…。確かなことは、この傷痕が「消える」ことは無い、ということだろう…。
(文・TOSHI)

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この記事は1月号「女性のひきこもり」に掲載しております。
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