【当事者手記】10年ひきこもり、5年働き…そしてまた


イメージイラスト・よいこのつぐみ
イメージイラスト・よいこのつぐみ

いじめから不登校へ

小学校の頃、僕はあまり勉強しなくてもテストの点が取れた。怒りっぽい方で喧嘩もしていて、良くも悪くもマイペースの子供だった。小6の頃から徐々に成績が落ちていった。
同級生が運動会で石を投げてきて、喧嘩の後「あいつからかかってきた」と平然と嘘をつかれ、それを先生が信用した。仲の良かった連中もバカにしてきて、怖くて喧嘩もできなくなった。別の同級生は、テニスラケットでさんざん頭を殴って来た。

そしていつしか僕は、先生に「お前、ナイフを振り回したおかしい奴なんだろ?」と言われるようになっていた。
中2の秋、父が家にいない時、学校を休んだ。
40日ぐらいすると、それまで一度も泣かなかった母は、はじめて泣くようになった。「おにいちゃん、学校に行って!もう朝だよ!朝だよ!」と。
代わるがわる来る同級生と教師。家に来られても、学校に行くのは気持ちの糸が切れていて無理だった。
テニスラケットで殴って来た奴まで「君が来ないと僕たちがみんな迷惑するんだよッ!」と、古いドラマのように玄関で叫んだ。「誰にとっての、どういう迷惑」なんだろう?僕の姿をしたロボットを置けばいいのか?

両親には精神科に連れて行かれ、医師からは「そのまま帰ってください」と薬すら出なかった。
その帰り、売店で「週刊ファミ通」を見つけた。面白くて、毎週、祖母が買ってきてくれるようになり、ファミ通とゲームだけが家での楽しみになった。
3ヶ月ぐらいして、市の図書館の上にある公的フリースクールのような所に行くことになった。午前9時から午後3時までいると、出席だけはした事になる。そこの先生は優しくて、3ヶ月もしたら安心して、大騒ぎして遊んでいた。でも同級生に会うのが怖いから外は歩けなかった。

そこで学校のテストを受けた。休む前に90点台だった数学のテストは68点まで落ちていた。
何かの手続きで、親に送られて学校に行った時、教室に入ると、春だったのに、太陽が照りつけるようなカラカラした苦しさと、顔を上げられない恐怖、色のない世界が襲ってきて、ずっと顔を下げている以外、何も出来なかった。
高校受験は「単位がない」ため不可能。
不登校の生徒のための無試験の高校に行くことになったが、そこでも1年の時に長期間休んだ。休み続けて留年し、4年目で退学した。
そして、ずっと家にいるだけの時間を過ごすようになった。この時「不登校」から「ひきこもり」になったのだろう。

「不登校」から「ひきこもり」に

ずっとゲームと、父の買ってきたパソコンでネットだけをしていた。20歳の頃に祖母が亡くなり、妹は僕をバカにするようになり、僕は祖母のいた部屋にこもり、食事も母が部屋に運んだ。同級生が大学に行って、とっくに街にいなくなっても、外は恐ろしかった。

大検(今の高卒認定試験)にも合格したが、何も変わらなかった。1年はあっという間に過ぎて行く。ただ静かに。
ある日、いつものようにネットをしていたら「大学の学園祭に、大好きなゲームのクリエイターが来る」とあった。ゲームは唯一、僕を繋ぎ止めてくれていた物。それなら…と思って、行った。

それをきっかけに、年に1、2回はそのイベントに行くようになった。そこには「恐怖の街」の人間はいない。そして、やはり「何かを求めてるんだろうな…」という人もいた。
そこでは本当にみんな、平等に接してくれた。東京に行きたいと思うようになった。少しでも「その世界」に近づきたい。
そして、今いる「人間として生きられない、この恐ろしい牢獄の街から出たい」という気持ちが強くなった。
次へ≫