【当事者手記】「助けて」と声を出せるまで『生きづらさと摂食障害と私』


イメージイラスト・よいこのつぐみ
イメージイラスト・よいこのつぐみちゃん

(文・合田純)
生きづらさを抱えて二十数年。毒親、自傷行為、OD(大量服薬)、セクハラ、うつ病、自殺未遂、双極性障害、発達障害、ひきこもりを経験してきた。
今回は、最も苦しかった、摂食障害で引きこもっていた時期について、それまでを振り返り、ひきこもり状態から脱却できた経過、などについて綴りたい

心の底から消えたかった

「死にたい。もう疲れた。早く消えたい」こんなことを四六時中考えていたことがある。摂食障害によって心身共に最悪の状況となり、家族と医師以外には一切会わず、半年ほどひきこもり状態だった時期があった。
私が苦しめられてきたのは、「過食嘔吐」だ。一度食べだすと止まらなくなり、胃がはちきれるまで食べ、その後に口内に手を入れて自ら吐く。
我ながら、一連の行為は非常に気持ち悪いと思う。そう認識していてもなお、この行為をしないと、私はストレスを吐き出すことが出来なかったのだ。

十六歳までの私

私が摂食障害になったのは十六歳頃。きっかけは炭水化物抜きダイエットか、と思っていた。しかし、それだけではなかった。一年ほど前に、医師と一緒に自分のこれまでや心の中を掘り下げていくと「子供時代に甘えることが出来なかった寂しさ」などが積み重なり、どこにもストレスを出す場所が無くなっての『結果』だったのだとわかった。
小学生時代、変わり者タイプの私は、女子グループにうまく馴染めず、学校に行きたくないと思うことが度々あった。
そういった悩みは誰にも明かさなかった。なぜなら、私は「いい子ちゃんでいなくちゃ」と考えていたし、二言目には「ダメ」という否定的な母には、悩みを吐露できなかったのだ。
中学に入り、ようやく友達と呼べる人たちができた。ある時、仲が良かった女子グループとうまくいかなくなり、別のグループの子たちとつるむようになった。
その際、母から「あの子たちと関わってはいけない」と告げられた。
私は「私の交友関係を否定された=私の人格を否定された」と捉え、否定された悲しさや「じゃあ私は誰といればいいの?」という悩みを打ち明ける場所を見つけられず、一人で悶々としていた。
加えて、家庭内ではいつも優秀な兄弟と比べられていた。母は勉強のできる兄弟を褒め、父は自分の趣味に熱心な兄弟とばかり行動を共にしていた。私はと言えば、勉強は中の上くらいのもので、家族の誰もさして興味を示してくれることはなかった。
それでも私は「いい子ちゃんでいなくちゃ」という思いを持ち続けていた。

この記事は1月号「女性のひきこもり」に掲載しております。
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