『逃げ恥』ブームが残したもの


 

(文・ぼそっと池井多)

TBSドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』が、うなぎ上りの高視聴率をたたき出して完結した。
このドラマのヒットの原因は、なかなか実らない恋に視聴者がむずむずしながら胸をキュンとさせる「むずキュン」や、エンディングに流れて今年の忘年会の必修科目となるほどまで全国的に大流行し、あげくの果てにはケネディ駐日アメリカ大使も踊り始めたという「恋ダンス」だけではないだろう。

「就労としての結婚」
「企業としての家庭」
という視点を軸にすえたのが、現代を生きる日本人の感覚にマッチしたのだと思う。

近年ワーク・ライフ・バランス論では、「仕事」と「家庭」が対立する場として設定され、その比をどうするかが論議される。
しかし実際は「仕事」と「家庭」は簡単に二分できるものではない。
家庭そのものが、ある意味では仕事なのである。

多くのひきこもりにとって、仕事への躊躇と結婚への躊躇が、車の両輪のように軌を一にするのは、こうした理由によるものではないだろうか。たとえば、私のひきこもりが23歳で始まったころ、彼女もいたし就職先の内定もいただいていたにもかかわらず、
「このまま就職して、結婚して家庭を作って、子どもを作って…」
とお決まりのコースをたどって定型の社会人となることに、無意識に激しい嫌悪感をおぼえた結果、私はひきこもりになっていったのだった。

その後、今日まで30年あまりに及ぶひきこもり遍歴の中で知り合った多くの仲間も、同じような感覚を共有していることを後に知ることとなった。

ひきこもりが一人も出てこないこの『逃げ恥』は、「家事は経済労働」「家庭は仕事」とさわやかに割り切る視点からはじまった。

そこには、年老いた夫の性奴隷となることを覚悟して嫁ぐ昭和初期の若妻のような、ドロドロとした悲愴な人生観はない。

夫とのやりとりは、労働時間の設定をふくめて、すべて雇用主との交渉であり、やがて終盤にいたって、それが共同経営責任者となっていくのである。

それだけで終わればハッピーエンドだ。
しかし企業には、ブラックな企業もある。

家庭も一つの企業であることをあばきだしたこの『逃げ恥』以降は、おそらく「ブラック企業」から連想して「ブラック家庭」という語が生まれるのではないだろうか。