「引きこもり文学大賞」創設のご案内



▼自己紹介
精神科医の東徹(ヒガシトオル)です。
2010年から精神科医をしています。2016年から認知症啓発団体「おれんじ畑」代表をしています。2017年に「精神科病院で人生を終えるということ〜その死に誰が寄り添うか」を出版しました。

 

今回はこのような機会をいただき、私が主催となって開催している「引きこもり文学大賞」についてご紹介させていただきます。

▼「引きこもり文学大賞」とは
「引きこもり文学大賞」という賞を創設しました。9月16日から開催しております。
「引きこもり」を参加資格とする文学作品(4000字以内)の応募を行い(応募は無料)、有料で閲覧者を募り大賞への一般投票を行います。賞金は15万円。その賞金は閲覧者の参加権料から。参加権料は権限に応じて、一口500円~一万円をいただく。というものです。会員制の特設サイトを作り、そこで作品投稿、閲覧を行います。上記、参加権料が会員資格料になります。
開催期間は9月16日〜10月31日までです。
作品の投稿は10月13日まで受け付けています。
投稿は期間中、随時受付。一人(メールアドレスで判定)1作品まで。
投票はリターン複数ご購入いただいた方も1人(メールアドレスで判定)1票です。
投票は10月31日締め切り、それまではいつでも投票可能です。

▼「引きこもり文学大賞」立ち上げのきっかけ
私は普段、精神科医をしています。普段の診療だけでなく、役所の精神科関連の相談業務も担当することがあり、引きこもり当事者(患者として)や家族(相談のみの場合も)と接する機会が多くあります。
そして、20歳頃、1年間引きこもりだった、元当事者でもあります。
昨今、マスメディア、インターネットで話題になることの多くなった、いわゆる「引きこもり問題」に対して違和感を持つとともに、何か出来ることはないか、と考えていました。
その違和感は、引きこもりにあまりに否定的である、ということです。引きこもりは悪いこと、なんとか社会に出なければいけない、出さなければいけない、という観念が非常に強いことへの違和感でした。
少し別の言い方をすれば、あまりに「上から目線」である、と感じていました。
引きこもりの人に対する期待や風当たりが大きくなればなるほど、引きこもり当事者はよりプレッシャーを感じ、ストレスを抱え、自己肯定感を持てなくなり、結局、引きこもりのまま苦しみ続けます。

しかし、別の観点から価値観を逆転することができれば、引きこもり当事者もその周囲ももっと違うアプローチが出来るのではないか、と思い考えたのが、「引きこもり文学大賞」の創設です。
引きこもり、と言っても様々な人がいますが、その中でも、内省的で考えすぎてしまう人が多いように感じます。これによって苦しんでしまう、という反面、この性質は文学に非常に親和性が高く、有用な特性なのではないか、と感じました。
逆に考えると、文学は引きこもりと非常に親和性が高いとも言えます。
随筆文学の金字塔、徒然草は兼好法師がある種の引きこもりになってから書かれたものです。
多くの文豪が、執筆時に温泉宿に「引きこもり」ます。
このように文学と引きこもりはとても相性がよく、むしろ、文学の本流は「引きこもり」なのではないか、とも思えるほどです。


自筆 黒板にチョークで書きました

▼「引きこもり文学大賞」の展望・ビジョン
実際に、2ch、匿名ダイアリー、Twitterなどのインターネット上には、引きこもりの人が書いた文章が多くあります。それらの中には面白いもの、興味深いもの、考えさせられるものが多くあります。
それらを単なる憂さ晴らしではなく、きちんとした作品として出せる場所、そして評価される場所、しかも賞金が出る場所、があれば、かなり前向きに考えるきっかけになるのではないか、と考えたのです。
引きこもりは、支援されるもの、助けられるもの、という上下関係を逆転させて、引きこもりであるがゆえに、評価される、金銭が得られる場所、というものがあれば、当事者、周囲に蔓延しがちな閉塞感を打ち破るきっかけが作れるのではないか、と思いました。
それで、自己肯定感を持つことができ、自信がつけば、社会に出てみるきっかけになるかもしれません。もっと言えば、無理に社会に出なくても、引きこもっていても、心身ともに元気に暮らせるのではないか、周囲も過剰なプレッシャーをかけなくても済むようになるのではないか、と思います。
引きこもりを続けたいか、抜け出したいか、はともかく、まずは心身ともに健康であり、自己肯定感を持つことが何より大事です。
あえて昨今の「引きこもり問題」の文脈で論じるなら、家に居ながらにして自己肯定感を持てるようにすることが、自殺や犯罪行為を防ぎ、当事者、周囲が安心して過ごせるための何より有効な手段ではないかと思うのです。
そのきっかけとして、「引きこもり」という言葉がポジティブな意味で使われる場所がある方が良い。
そしてそれは「引きこもり文学大賞」の創設ではないか、と考えました。

▼「引きこもり文学大賞」の現状
9月16日から開始し、9月24日現在で作品は24作品応募されています。そのほぼ全ての作品にコメントがつけられています。このコメントは上記クラウドファンディングで3000円のリターンを購入した方が投稿しています。ネットやSNSの書き込みとは違い、支援をしたい方によるコメントですので、もちろん誹謗中傷はありませんし、純粋に作品を楽しみつつ、また、論評を楽しまれているようでもあり、それと同時に、応募者への支援にもなっているように思えます。大賞や入賞による賞金もこの賞の売りであり魅力でもありますが、このような双方向のコミュニケーションになるところも面白いところではないかと思います。
上記の通り、引きこもりの方の中には文章を書くのがお好きな方、得意な方は少なからずおられると思います。そのような方の発表の場として利用していただければと思っています。作品投稿は10月13日まで、先着100作品です。
一方で、作品を読んでみたい、という方は新たに入賞者に賞金を渡すためのクラウドファンディングを立ち上げています。(https://readyfor.jp/projects/hikikomoribungakuzougaku)そちらでリターン購入していただければ、プロジェクト成立後に閲覧、投票、あるいはコメント投稿が可能になります。
ご興味を持たれた方は作品投稿、あるいは、閲覧権購入をご検討いただければと存じます。
宣伝になってしまいましたが、非常に面白い企画であると自負しております。いずれかの形でご参加いただければ幸いです。


1 Comment

  1. 矢内一恵

    ぜひ継続的に続けて世間的に知名度が上がってほしい企画です。文学や芸術分野は,「ひきこもり」と親和性が高いというのは同意見です。
    偶然「精神科医がみた引きこもりの現実」という記事を読み,当てはまることが多すぎて思わず涙があふれて,ひきこもり新聞のホームページにたどり着き,この賞について知りました。
    私自身,20代の頃に引きこもりを経験しましたが,当時はまだ「ひきこもり」「躁鬱」という考えが社会的に広まっていない時期だったと思います。ですので,言われる言葉は「弱さ」「甘え」「怠け者」とか。現在私は52歳ですが,なんとか社会の端っこで社会人として生活できていますが,当時は母親が一緒に死のうかというほど追い詰められていました。幸いわたしは海外留学をきっかけに,自己と社会との折り合い具合を見つけて生活しています。それでも職場には引きこもりや鬱のことは隠しています。
    正直「ひきこもり」という名称は否定的ニュアンスが強すぎて好きではありません。古今東西を問わず人間はだれしも「ひきこもり」の輪にかすっていると思います。そのかすり具合が大きいか小さいかの差だと思うのですが,そのほんのわずかの違いだけで,息苦しさ,生きぐるしさに押しつぶされる人生って何なんだろうと,この歳になり昔の自分を振り返ってみて思う次第です。生きることの功罪を今でもまだ考えます。上記の記事に,「労働が恐怖心や生理的拒否感の対象になってしまっている」という文言がありましたが,「ひきこもり」の輪への重なりが大きくなると,「人間そのものが恐怖心の対象」になってしまうのだろうと,そう経験から思います。
    海外ではintrovertなる言葉があふれる書籍も多くあり,肯定的に捉える風潮もありますが多分まだまだなんでしょうね。「ひきこもること」や「孤独」「ひとりでいること」が社会とのつながりや構成要素としてマイナスになるのではなく,何かを生み出す力になる多くの中の前向きのエネルギーの一つなのだという認識が世間に広めるためにも,こういった企画の普及は応援したいです。