ひきこもり権利宣言と報道ガイドラインに向けて


(ひきこもり経験者で、暴力的「ひきこもり支援」施設問題を考える会の藤原秀博さんからの寄稿文です)

引きこもりとは、病気や環境などの要因により、動かないのではなく動けない状態です。よく考えてみてください。家族や周りから承認されない「引きこもり」を、好きだからとか怠けたいという理由だけで、本人が心から望んで続けるでしょうか。人間には承認欲求があるのです。本人が望んで引きこもっているように見えても、実は引きこもる以外の生き残る手段が見つかっていない場合が多いと考えてほしいです。

そんな引きこもり本人に対して、「外に出して就労させる」という結論ありきの態度で接していては、話が通じないのは当然です。引きこもり支援はハイレベルな当事者理解が必要です。福祉を名乗り支援したい風の顔をしてる人が格好だけ頷いて「わかるよ、わかるよ」なんて言いながら、実は引きこもりを外に出す事ばかりを考えている。引きこもりが居ない社会という「排除」ありきの話をする。つまりは、引きこもりの人の存在を端から否定しているのです。そういう人は結局上辺だけで、本人との対話をせずに解決することを考えています。人は誰でも悪意なしに他人を利用する性質があります。引きこもりと親の高齢化が進み、最近では引きこもり支援をビジネスにした引き出し業者もいて、被害者が続出しています。本人の意思に反し、又は十分な判断を下せない状況で、自宅から無理やり連れ出して宿泊型施設へ強制入所させることは、一時的には解決したように思えるかもしれません。しかし、本人には一生深い心の傷を与えてしまうことになり、家族との関係の溝もさらに広がるのではないでしょうか。

そもそも、引きこもり本人だけが問題と思っている方が、大問題だと思います。引きこもり支援の基本は当事者個人に寄り添うことです。私が家族支援を一番にあげるのは、本人をどうにかしようとするよりも、本人に近い人たちに意識を変えてもらう方が重要だと思うからです。本人の気持ちが尊重されず無視されたかたちでの支援は、元当事者の私たちから見れば暴力と同等だと考えています。私が家族に受容的対応を勧めるのは、決して甘やかすよう提案しているのではなく、家庭が安心できる土台となって初めて、本人はそこを足場に新しい世界へと踏み出すことができるからです。

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(あすぷろ実行委員会より)

病気ではなくても、今の社会に馴染めないことで、引きこもる人は大勢います。ある程度満たされてきた現代社会では、個人の人格を麻痺させてでも利便性を追求する風潮にあり、その上落ちこぼれた後の救済処置も、再チャレンジの機会も数少ないのが現状です。今は誰でも、引きこもりにハメられてしまう社会なのです。社会自体が病んでいて、本当に私たちが欲しいものは何かが分からなくなっています。社会に順応できる人ばかりが評価され、社会に「NO!」のメッセージを、引きこもりという形で発信する人の存在を軽視しないでほしい。今の社会の常識や枠組み(学校や就労など)に当てはまらない人たちには、人間らしく自由に生きることすら難しい状況です。
引きこもりは個人の意思だけの問題ではありません。人間の生き方に正解もありません。今日の経済史上主義では、生産率やGDPを上げることが人間の価値であるかのような錯覚がありますが、それは正しいのでしょうか。先人たちが作り上げてきた良き所には感謝する一方、色メガネで押し付けられた教育まで、今を生きる者たちが引き継ぐ必要はありません。

今までのように、引きこもりを意思が弱い人として片付けてしまうのは簡単ですが、引きこもりがなぜ起きるのかという、社会全体の問題に対して明らかにしようとしなくて良いのでしょうか。8050問題は現実に起きている社会問題なのです。だからと言って、引きこもり支援=引きこもりを0にしようと意気込んでいるような、行政や専門業者は、実は自分が「支援」の意味すら破棄違えていることから理解してほしいです。むしろ、「より良い社会にするためのヒントを、引きこもりの人たちから学ぼう!」くらいのスタンスで、引きこもりを理解することからはじめてほしいと願います。
もちろん、ラクだけを望む犯罪者は論外です。しかし、義務を果たせないくらい心も体も弱ってしまった人間には生きる価値すらないのでしょうか。「人間の弱い所」を共有しあえるような多様な社会に向けて。その小さな一歩として、私たちの会では今、「ひきこもり権利宣言」を出そうと取り組んでいます。

まだ出会えていない、引きこもりの仲間たちへ。今社会に姿を現している、元引きこもりの人たちだけで意見を集めて、この権利宣言を作っても未完成のままです。今、社会参加できていない、あなたの声をどうかネットなどで届けてください。あなたは、病んでいる社会に適応してないだけで、私たちと共に生きています。今、まさに引きこもっているあなたの意見を取り入れてこそ、本当の「ひきこもり権利宣言」になるのです。

あなたはどうして引きこもっているのか?
本当はどうしたいのか?
社会に対して何を望んでいるか?

など、あなたのリアルな本音を、私たちの会に発信してください。もちろん匿名で構いません。自分はここにいるんだ!というメッセージを、権利宣言作りの手助けをするという形で、発信してもらえたら嬉しいです。「当事者より解決策を知る者はいない」と言うのが私の一つの考え方で、引きこもりも同様です。どうか御協力をお願いします。

ここ数年、ピアカウンセラーとして私が支援活動をするにあたって感じたのは、クライアント本人の問題点だけを改善したところで限界があるということです。クライアントを手助けするためには、結果的に社会環境もより良くしていかないと難しいことに嫌でも気付かされました。引きこもり本人と家族は日々、偏見に悩んで孤立するなか、人権を侵害される被害者も出ています。私の場合は、学生時代に集団暴行を受けたことがきっかけで不登校になり、その後周囲(親や先生など)に自分の存在を認められなかったことから、引きこもりになりました。誰にも理解されずSOSを受け止めてもらえなかった過去のトラウマがありますから。だからこそ、私も可能な範囲で社会活動に加わるようになり、この会の共同代表も引き受ける運びになりました。

引きこもり本人や家族に対して、現代の社会支援が不十分なことは否めませんが、それでも支援場所や解決策は確立してきています。家庭内暴力があった時にどう対応すべきか…など問題に対してこれまで蓄積してきた一般的な解決のノウハウをメディアが情報提供することが、本人や家族の命綱になるのです。メディアが引きこもりに対して偏見や排除を助長するような報道の在り方ではなく、一般的で安全な支援団体・当事者会・家族会・厚労省のガイドライン・医療サービスなどを紹介して、真の解決へと導くような本来の役割を果たしてもらいたい。そのために私たちの会では、権利宣言と並行して、「ひきこもり報道ガイドライン」も作成しようと動いています。こちらは、特に有識者や家族会などの連携が必至です。全身全霊でご協力のお願いをしていきたいと考えています。ひきこもり権利宣言と報道ガイドラインの作成、この二つを大きな柱にして私たちの会は動いています。そして、一緒に活動していく仲間も集めています。引きこもりだって胸をはって笑顔で生きていきましょう!

最後にもう一つ。社会が病んでいるという側面は多いにあると思います。引きこもりの仲間たちは悪くないです。しかし、そんな社会の中で、自分の人生をどう生きるかは、やはり自分次第ではないでしょうか。たとえば、視角障害者が毎朝起きる度に、目が見えない自分と視角障害者が生きづらい社会に落ち込み嘆いている毎日だとしたら…。果たして、本人はそんな人生で本当に良いのでしょうか。社会は残酷ですが、温かい面もいっぱいあります。この世界は天国ではないですが、決して地獄でもないはずです。今の社会の中で、私は自分自身が生きづらさの性質を抱えている「覚悟」を持ちました。そして、社会的には負け組であったとしても、自分らしい人生を送ることを決心しました。あなたが心の奥底で、本当は信じられる自分になりたい。より良い人生を送りたいと僅かでも思っていたならば、自分の中にある苦しみを誰かに相談してほしいです。自分のことを理解してくれそうな誰かにSOSを出すことを諦めないで、より良く生きようとすること。本人なりにそれさえできていれば、社会的に結果が出ようが出まいが、私は立派な人間だと思います。社会常識に反して、引きこもりを続けてきたそのパワーは、実はとんでもない忍耐力でもあるのです。その内に秘めた力を使うベクトルを少しだけ変えて、住みやすい社会にするために、私たちに知恵を貸していただけたら幸いです。

暴力的「ひきこもり支援」施設問題を考える会
ツイッター:@bouhikihan
Facebook:https://t.co/446fXTU4AF

【イベント告知】
ゲストに阿部達明さんを迎えて精神保健福祉士・相談員バーやります。
日時:8/23(金)開店18時 講演19時
会場:地下室こもり(東京都北区上十条3-24-2 ボンメゾンⅡ B101)
チャージ:1,000円(参加費含む)
講演テーマ:ひきこもりとアドラー心理学
集まれメンタルヘルス支援者!支援者にとってスキル向上や憩いの場となるような集いです。

↓こちらのフォームから参加申込み下さい
https://t.co/gYhynSrL55


2 Comments

  1. 武田吉登

    55歳男性です。断続的に引きこもりを繰り返して30年。何度自分の命を絶とうと考えたことか。そんな自分を立ち直らせてくれるきっかけを与えてくれたのは引きこもりの当事者会でした。社会に適応できない人間は自分だけではない。自分と同じような境遇の人はたくさんいるんだ。そのように認識できて初めて少しずつ楽になってきたように思います。現在は、自分をこのような境遇に陥れた社会に対して強い反感を感じています。自分が病んでいるのではない。社会が病んでいる。親、幼稚園、学校、会社。皆、病んでいる。そして、うまく適応で来た人たちは適応できずに呻吟している人間のことに何の関心も向けようとしない。120万人もの日本人が引きこもりで苦しんでいるのにどういうことなんでしょう。
    現在苦しんでいない人々というのは自分のことで精いっぱいなのでしょう。或いは自分の事しか関心がないのでしょう。この前、参議院選挙があって、投票率が50%を割りましたが人々の社会に対する関心の低さの現れでしょう。
    端的に言って日本人が腐っている。
    引きこもりはそのようなもはや生きるに値しない日本人社会の中で生存を図るための防衛行動ではないでしょうか。わたくしはそう考えます。
    だからこそ引きこもりは憲法で保障された基本的人権なのだと思います。
    マスコミ報道のガイドラインについて。
    もはや「ひきこもり」は差別用語です。マスコミにこの言葉を使わせないほうがいいと思います。マスコミが引きこもり当事者を報道する場合「ひきこもり」という言葉を使ったら当該マスコミはそれ以降、引きこもり当事者の取材から排除することが必要です。また
    同じく暴力的引きこもり支援業者を報道したマスコミに対しても同等の制裁を与えて当然と考えます。
    引きこもりに取って代わる用語としては「良心的社会活動拒否者」などはどうでしょうか。
    この言葉は「良心的兵役拒否者」をもじって考えた言葉です。たたき台にしていただければ幸いです。

  2. 藤原秀博

    素晴らしい意見!言葉の与える影響は本当に大きいので、引きこもりにとって代わる用語…そこも議題にしていきたいです!ありがとうございます!