安田祐輔『困難を抱える人の助けになりたい』


安田祐輔

「キズキグループ代表。1983年横浜生まれ。国際基督教大学(ICU)卒業後、大手商社を経て、「キズキ共育塾」開塾。引きこもりや不登校の当事者へ学習支援を行う。他に、経済的困難を抱える家庭への支援事業など、若者を取り巻く社会問題を多岐にわたり解決する活動を行う。(キズキ共育塾サイト https://kizuki.or.jp/)」

「発達障害の当事者」

Q. 生い立ちからキズキ共育塾を立ち上げるまでを聞かせていただけますか?

「発達障害」なんて言葉があまり知られていない時代でしたけど、今から振り返ると子供の時から明らかに障害があって、周りとうまく行きませんでした。父親も似た傾向が強い人間だったので、なかなか家族と意思疎通ができず、外で家庭を作って、帰ってこなくなりました。母親は精神的に不安定になって、他の男性にすがるようになりました。この家に居るのは難しいなと感じたので全寮制の中学校に入りました。

「居場所のない中高時代」

中学校では、過酷ないじめに遭いました。寮生活だと学校と生活の場所が同じなので、一回いじめに遭うと抜け出せなくなっちゃうんです。生活環境にまでいじめが入ってきて、ゴミ箱のゴミをベッドにばらまかれたりしました。どこにも居場所がありませんでした。耐えられなくなって、中三からは公立に転校して、高校からは、不良のまねごとをするようになりました。

「二浪後、ICUに合格」

進路を考える時に大きく影響したのがアルバイトでした。高校時代に10個以上アルバイトをしたのですが、どれも三か月以上続きませんでした。そこで、「このままでは生きていけない。生まれ変わらなきゃ。そのためには大学に行かなきゃ」と思うようになりました。それと、当時僕をパシリにしていた暴走族の家庭環境は、僕の家庭よりも悪かったんです。生活環境などを丸ごと変えるために、地元を出て東京の大学に行きたいと思いました。

結論から言うと、二浪を経て国際基督教大学(ICU)に合格しました。一人でコツコツする受験勉強は、苦ではありませんでした。18歳を過ぎてからバイトよりも勉強のほうが向いていると知りました。浪人中、予備校の授業を受けた後は、家でずっと勉強しているだけだったので、人としゃべることがありませんでした。僕の発達障害の特性として、一個に取り組む時はそれ以外はやっちゃいけないみたいになっちゃうんです。浪人生活中は、友達と遊びに行くことも全くありませんでした。友達を作ったら負けだと思いこんでいました。とは言え二浪の終盤では体力が尽きていたので、ここで大学に合格していなければ、人生はより困難な方向に向かっていたかもしれません。

「不条理に取り組みたい」

大学は寛容な人が多くて、恵まれていました。空気が読めなかったので、入学式の日にはサングラスをかけて威嚇しながら大学に行ったのですが、クラスメイトは優しく話しかけてくれました。
自分の10代のころの生い立ちが影響してか、大学では不条理な問題に取り組める人間になりたいと思って、中東の問題やバングラデシュの娼婦街の女性に関心が向きました。しかし、どんな仕事についていいか分からず、普通に就職することにしました。

「就職後、ひきこもりに」

僕がひきこもりになったのは就職してからです。発達障害の関係で会社や仕事にうまく馴染めず、はじめてひきこもりになりました。それまでは、自分はひきこもりとは無関係の不良で、強い人間だと思い込んでいました。なので、ひきこもるなんて全く想像すらしていませんでした。

続きは、ひきこもり新聞10号に掲載しています