恐るべきものとしての日常


「引きこもり」のエスノグラフィー

(文・写真 喜久井ヤシン)

あなたにとっての日常が私には事件だった

……「私」は一人ぐらしの自宅で、マグニチュード5の、大きな揺れにあったけれど、被害は家具が倒れたくらいで、どうということはなかった。
元々茫然自失しているような状態だったので、「私」はあまり怖いとも、危険だとも思えないで、周囲の変化にも、ほとんど何も感じることができないでいた。
偶然見たテレビでは、避難所に寝泊りしている人が、「早く日常に戻りたい」と涙ぐんで訴えていた。2011年3月11日以降、「日常」という言葉は思いを込めて使われるようになっていた。
けれど、その日常の意味は……?甚大な災害が恐ろしいのは当然としても、「私」にとっては日常が、すでに恐るべきものだった。
東日本大震災の行方不明者・死者数は、1万8000人以上にのぼっている。
それは想像しがたい膨大な数だけれど、2011年の、その年にあってさえ、日本の年間の自殺者数は三万人を越えていた。
合計3万1690人、男性だけで2万867人の自殺者数というもので、単純に数字だけを見るなら、震災の行方不明者・死者数の合計を上回っている。

日本で毎日を過ごしていく「日常」が、おだやかで平和に過ぎていくことなんて、「私」の半生ではありえなかった。
震災の報道に「人生観が変わった」と言う思想家がいたけれど、「私」は頭の良い人が、なんてのうてんきに生きてこられたのか、といぶかった。
自ら命を絶った同世代の人々がいたし、「私」自身も長く自殺を考えていた。戸塚ヨットスクール事件やアイ・メンタルスクール事件からは、「私」自身が殺されていたかもしれないという危機感を受けている。
「私」にとっての日常は、大勢の人が死んでいくもので、明日に命の保証なんてなく、殺されるリスクを抱えながら、偶然のように生き延びるほかないものだった。
「日常に戻りたい」とか、「何でもない日常が幸せ」という言葉はわかるけれど、その日常に、学校があって、会社があって、結婚とか、家族とかの、「私」を脅かすものがある。
日本の自殺率が先進国中で最悪だということからしても、「私」には日常というものが、おそろしく静かなジェノサイド(大量虐殺)のように思われていた。

どんなことも日常によって色あせていく

劇的な出来事でない、事件でない、どうということもない…なんとなく過ぎていく日々を「日常」というはずだけれど、そこに含まれている圧力や、これ以上ないくらいの暴力のようなものは、もっと強調されてよいと思う。
20世紀の作家で、ジャン・アメリーという人がいる。ユダヤ人の両親の元、オーストリアに生まれた人で、敵性外国人として逮捕され、拷問を受け、独房に入れられ……アウシュビッツだけでなく、複数の強制収容所を生き延びた、辛酸を舐めた人。
自死を論じた「自らに手をくだし」(大河内了義訳1987年法政大学出版局)という著書があって……実際に自ら命を絶った人でもあるのだけれど……その本の中で、ヒトラーについてふれている箇所がある。
『この男はできることなら私たちの一人一人にねらいをつけてとろ火であぶり殺したかったであろうに。根源悪そのものだ。』
と、当然否定の声を上げる。けれどそれと同時に、若い世代にとってはすでに歴史上の、過去の存在になっていると語る。
それだけでなく、高齢の人々にとってさえ、『その後あまりにも多くの政治犯罪を見聞きしてしまったのだから』、ヒトラーの与えた恐怖は薄まったという。
アメリーはさらに付けくわえて、こう語る。

『彼の出現に傷ついた人、直接被害を受けた人にとってもそうなのか?正直に言おうではないか。そういう人たちにとってもヒットラーの唾棄すべき姿すら時とともにそして時によって使い古されていく不条理な人生によって色あせたのだ。私はこの人類の敵のことはもうあまり考えはしない。私の心を動かすためには挑発する必要さえあるほどだ。』

人生に消えないはずの傷痕を残している作家でさえ、「人類の敵」のことは人生によって色あせたのだと言い切る。
これは、戦時ではないはずの平時の時間、日常といっていい日々の時間が、悲壮な事件をも小さくさせた例に思える。
時が傷を癒すというような話ではなく、私としては、その「時」の中身であるはずの、日常のもたらす外傷的な恐ろしさを思う。
日々の生活によって慰められるものがあるというのは、傷の上にまた傷ができ、悲しみに悲しみが上書き保存されていくような、苦痛の更新のことではない?

 平坦な道ではなく

引きこもりという言葉は、基本的に状態像をあらわすもので、診断されて付けられるような病名ではない。特定の場所が痛むような病気があるわけではないし、社会的引きこもりが一律の症状を見せるわけでもない。
「私」の日々にしても、事件ではなく日常にあたるはずもので、それは批判的な人から見たら、「何もしていない」と言われるような、延々と続く長い無為にあたる。
苦しみの多い歳月を過ごして、私は生き延びてきたけれど、「私」の日々を振り返ってみたところで、劇的な出来事は見つからない。
たとえば、過酷な治療に耐えて、病気を克服した人や、障害を努力で乗り越え、難関の試験を突破した人。それらの人々なら、「高い壁を越えた」とか、「山を登りきった」と言えるような、物語になりやすい達成をしている。
「私」も苦しみの多い、恥の多い年月を越えてきたはずだけれど、それは引きこもりと称される静かな、「何もしていない」とみなされる平坦な時間のくり返しだった。
「私」が日々乗り越えねばならなかった障壁は、特異な出来事ではなく、本来意識されることもない日常にある。激しい起伏を乗り越えてきえて、何かを達成してきたとはいえない。
ただ、その年月はひどく疲れさせる、「私」には過酷な路程だった。高い山はなかったとしても、この歳月を見わたすなら、日常は延々と続く隘路(あいろ)みたいにあって、ひたすら伸びていく長い山脈のようにある。

以上

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