私は引きこもりの素質をなくした


「引きこもり」のエスノグラフィー

(文・写真 喜久井ヤシン)

私は引きこもりの素質をなくした

…人をこごえさせる冷たい風が、裸の体にあたるという時には、水の中にいた方があたたかく感じられるということはある。水から上がろうとしても、大気の寒さが濡れた体に刺さってしまい、痛みに耐えられないで、また水の中に戻りたくなる。
けれど、水の温度は低く、長い時間ひたっていても、体はあたたまらずに、むしろ体力をなくして、衰弱してしまう。
冷えきった日に冷水の川に身を沈めているだなんて、冬服を厚着できる人たちから見れば、馬鹿げたことをしているように見えるかもしれない。
しばらく前までの私は、そのような耐え方でしか寒さを耐える術がなく、冷たい川に自分から身をひたすようにして、一人きりの歳月を過ごしていた。
ずっと水の中にいれば、新たに濡れるということがないように、ずっと悲しみの渦中にいれば、悲しみを新たに感じることもない。
「私」は誰とも顔を合わせずに数年を過ごしても、さみしさや孤独を感じることはなかった。自室の中にいて、誰とも口をきかずに、一人きりで一年を過ごすことがあたりまえで、誰かに会いたいとか、好きなことをしに出かけていきたいとか、そんな欲求もなかった。感じることはなかった。
以前の「私」と違ってしまったのは、現在の私がさみしさを感じるようになったところにある。水の冷たさを感じるようになってしまった。
今の私は、この知覚によって、自分から引きこもりの素質がなくなりつつあるのだと思える。

 

さみしさを感じるようになった

今の私は、メディア上で使われる「引きこもり」の言葉にはあてはまっていない。
養育者からの援助ありきだけれど、一人暮らしをして、週数日のアルバイトの労働でお金を得てもいる。
数年前までは、週に一度でも人と会うことがあれば、しばらくはぐったりしているのがあたりまえだったというのに、今では、人と会わない日がほとんどない。
家には洗濯機がないので、コインランドリーに行き、生活のための日々の買い物もあって、家から一歩も外に出ない日は珍しくなった。
新卒で就職して、ずっと働き続けているような人たちからすれば、これでも余暇の多い暮らしぶりだろうけれど、私という一人の人間にとっては、この数年には根本的な変化が起きている。

しばらく前、引きこもりに関する小さな集まりに行ったときに、中年の女性から、それだけ「回復」したのはすごいことで、どうやったのか教えてほしい、と質問された。
「私」が答えるなら、「さみしさを感じるようになったせい」だと言うのかもしれないけれど、それなら、さみしさを感じるようになった要因はどこにあるのかを、どうやって答えたらいいか。……たぶん、短く返事をすることはできない。
いくつもの関係が、何年もかけて「私」を引きこもりの方へ押し流したように、いくつもの関係が、長い時間をかけて、別の方向へと押し流していった結果だった。

 

『まるで自分じゃないみたい』な思い

私はこの四、五年くらいの変化からくる、「まるで自分じゃないみたい」だという思いを、二種類の意味でもっている。一つは、一人暮らしをして、働いて、人と飲みにでかけたりする、「まるで自分じゃないみたい」な現在の社会人らしさに。
もう一つは、一年間誰ともふれあわずに、自室でゲームをして、孤独を感じることもなく過ごしていた、「まるで自分じゃないみたい」な過去に対して。
私は、現在の自分と過去の自分とのあいだにいて、寄り立てる足場を見失しなってしまい、この人間がどんな塊なのかがよくわからなくなっている。
陶芸の世界には、変化を示す言葉の一つに、窯変(ようへん)という用語がある。
岩絵の具などを塗られた陶磁器は、職人が計画した意匠をほどこされながらも、高温のかまどの中で、誰にも予測できない彩色に変化する。
私や誰かが意思をもって変えていこうとしても、それは下地にしかならずに、最終的な結果は人の手の内にはない。
あとづけで理由を言うことはできるだろうけれど、私の変化は、たぶん窯変のようなものでしかないのだろうと思う。

 

23.6%……自殺を考えたことがある人の率

…働いて、自活をして、好きなものを楽しめる自分になりつつあるにしても、それで引きこもり的な精神状態が終わったわけではない。
毎朝起き上がることには苦しみがあって、嫌悪や怒りに見舞われながら、時には虚脱感に襲われつつ生きている。
社会人でいることが当然である人たちに、毎日の疲れやストレスががあるにしても、この精神状態の平均ほどではないだろうと思う。
今年(2017年)発表された、厚生労働省の自殺に関する調査で、「自殺を考えたことがある」と答えた成人の率は、23.6%だった。
この調査は、前からだいたい四人に一人が該当しているのだけれど、私は見るたびに、この結果の少なさに驚いてしまう。
世の中には、自殺のことを考えずに生きている人が一人でもいるというだけで事件的だし、四人のうち三人は、生きるつもりしかなく社会に存命して続けているだなんて、私の想像力では及びもつかない。

私にとっての人生は、おそろしい抑圧に満ちていて、世界は棘のような敵意を向けてくる場所でいる。
それなのに、経験からすれば理屈に合わないことで、自分から外に出て、お金を稼いで、人と出会おうとする私がいる。
自殺を考えた人の率からすると、四人のうちの一人とだったら、親しくなれるかもしれない、なんて楽観的に思えさえする。
私はあらためて、現在の自分が引きこもりの素質をなくしつつあるのだと思う。苦痛に満ちた明日がやってくるとわかっているのに、一人きりをさみしいと感じるだけの、臆病な心が感じられてしまって。

以上
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