【連載】「引きこもり」のエスノグラフィー
(文・喜久井ヤシン)
舞台の上で、何もしていなかった人
まるで、演劇をやっている舞台上にいるのに、一言のセリフもなく、ただ変な位置に突っ立っているだけの人みたいだった。
それなのに、カーテンコールの時には、真ん中に出てきて偉そうに拍手を受けているような。すごくとらえづらくて、語ることがむずかしい。
当事者のはずのこの人物はいったい誰で、何をしていた人なのか、私の頭ではよくわからない。
私の伝えようとしている話は、無視によるいじめと似ているところがあると思う。
人を殴るような出来事だったら、はたから見ても、誰がどれだけ悪いことをしているかはよくわかる。けれど、話しかけても応えなかったり、いないことにされるような無視だと、暴力はわかりにくい。
無視は、どこからどこまでが加害と被害の関係になるのかがあいまいで、卑劣なものだけれど、かたちに残らない分、はっきりとは訴えづらい。
もっとあいまいな加害になるのが、無視の暴力を、何もせず見ていただけの人になる。暴行だったら、事件のすぐそばにいて、助けることも通報することもせずに、ただ見ていただけの人だって問題になる。
被害を受けた側にしてみれば、共犯者というか、すくなくとも加害者側にいる人間だと思える。
無視されていることを知っていながら、傍観して、関係のない他人でいた人というのも、直接傷つけていないにしても、加害者的で、共犯者的なところがあるように思う。
……私が話そうとしているのは、そういう、自分で手をくだしたわけではないけれど、間違いなく事件の現場にいて、加害者側にいたといっていいような…、だけどいったい何を証拠として、どのように訴えたらいいのかわからない、捉えどころのない相手のことだ。語りづらい対象だけれど、ただ、私は、この当事者を証人喚問せねばならないと思う。
言葉一つで言うなら、私は、「父親」のことを話そうとしている。
何もしていなかった父親
あれがいったい誰だったのか、私にはよくわかっていない。
父は会社勤めの人で、肥満型体型の、基本的には愛想の良い、無口だけれど温厚な人だった。特に趣味はもっていなかったと思うけれど、若い頃は魚屋で働いていたそうで、包丁さばきが上手く、家族三人分の料理するのは日常的だった。女性養育者(母親)も会社勤めをしていたので、十代前半までは、家の中で父親と二人きりの食事をすることは、「私」の実家の自然な風景だった。
十代の後半になると、「私」が同じ部屋にいることを拒むようになったので、食事も別々になり、ほとんど顔を合わせることもなくなった。その無関係な関係が今でもつづいている。
父は、「私」が教育マイノリティ(不登校)になったときも、引きこもりになったときも、それらについて何も言ってこなかった。テレビのリモコンがどうというような、どうでもよいことで怒鳴られるのはよくあったけれど、教育的に何かを諭されたり、本当の意味で叱られたことは、「私」は父から一回も受けた記憶がない。
父親は「私」を避けているとか、嫌っているとかというわけではなかった。むしろ過保護で、長年食事を出してくれていたように、手間や時間をかけてくれたし、「私」が物や金銭で何か欲しいといえば、たぶん今でも気前よく出してくれるだろうと思う。
……ただ、それだからこそ思うのは、「私」が教育や女性養育者とのことで混乱し、自室を荒らして、自殺も考えていたときに、いったい何をしていたのか、ということだ。
十代以降の「私」の人生で、父親は、ずっと一番近くに住んでいた他人という感じだった。同じ家に何十年も住みながら、どうしてこれだけ関わらずに過ごせたのか不思議に思う。
お互いに、家の中を横切る通行人のように、家という舞台セットの、風景と同化したエキストラみたいだった。
「私」に理解を示すとか、役に立つ情報を伝えるとか、……十数年もあったら、できることがなかったわけではないだろう。
「私」の苦しんでいた年月に、手立てを打つことなく傍観していただけだったというのは、「私」を苦しめていた側の、共犯者的な人だったと思ってはならないだろうか。
「私」以外の家でも、この傾向はあるらしい。ひきこもりや不登校の「親の会」でも、参加者のほとんどは母親で、父親が多数派になる集まりというのは聞いたことがない。
このアンバランスを生んでいる不在者は、子どもをめぐる課題を免除されているようだけれど、まぎれもない当事者ではないのだろうか。
もう一人の当事者
「子は親の背中を見て育つ」、という古い言い回しみたいに、引きこもりを含めた「私」の成育は、たんに父親の姿を反映した結果のように思えてくる。人生にかかわる重要なことと向き合わずに、対話を避けて、黙りこみ、何年も何十年も手を打たずに、ただ同じ家にいて時を過ごしている。
……それは人から見た引きこもりの「私」の姿でもあるかもしれないけれど、「私」から見た父の姿でもある。「私」は息子として、語らない対話の仕方も、舞台上での不在のあり方も、家族関係を築かない方法も、父から静かに学びとっていたのではないか?
引きこもりの「私」に対して、人間関係を改善する力がなく、将来への考えもないまま、何十年もの歳月を無駄にしている……という、そんな責め方が聞こえてくることがある。けれどその批判にあたいする当事者は、「私」の他にも同じ家の中に、もう一人いるのではないか、と思う。
以上
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私も、引きこもって親の事など考えてきたが
母親が私を自殺を考えさせるほどの依存心で支配してきた間、
父はなにをしていたんだろうと思う。
母に対して恐怖する気持ちが先立ってきたが、
父は子供をネグレクトして家庭という密室にあの病んだ母と閉じ込めて
なにも思わなかったんだよなぁと。
父親は悪意もなく子供と母親を見捨てる。
それで一人で自分の心をケアできない不安定な母親ほど、子供に依存するのではないかと思う
大人しいけれど家庭に無関心な父親。見栄っ張り。
家にお金を入れれば無問題で、あとは、奥さんの仕事だと勘違いしている人。
これもまた問題ですね。
私の家も、父は教育に関心がなく、週末といえば飲み屋かツーリング。
食事の席でも自分の仕事の話ばかり。子供の話を聞く気は最初からなし。
聞き役は私。
母親は、まともに夫とコミュニケーションも取れないので、常にイライラ。
子供にあたることは、当たり前。
叩く・怒鳴る・家の外に立たせる・包丁を向けてくる
こういうことがありました。
父親に言っても、お前が悪いんだろで終わりです。
どれだけ、男として父親としての役割ができない人なのか。
夫が子供すぎる→妻が一人で父親と母親の役目をしなければならない
妻の不満がたまる→子供に八つ当たり→子供が病む(特に思春期)→父親は逃げる
母親は、ますます子供に縋りマッチポンプする→自立の道が遠のく
なんでしょうね、この地獄のような回廊は。
もう、絶対に過ちを繰り返したくはないので、奇跡的に社会復帰出来たとしても
子供を作ることだけはしないように、その手のオペを受けてしまおうかと
考えております。
デリカシーのない発言、失礼いたしました。