【コラム】コミュ障と大縄跳び【読了時間2分】


コミュ障と大縄跳び

コミュ障(コミュニケーション障害)が人の輪に入るのは、小学生の頃に、休み時間や体育の時間にやった大縄跳びに似ている。
大縄跳びの動きのタイミングを見計らい、回転の中に入って飛ぶのは、難しかった。あの長くて太くて高速で回転して当たると痛い縄が、怖い。モジモジと躊躇していると、縄を回している子に催促される。そのうち周りの連中からのヤジへと変わる。入ったはいいものの、失敗して周りからヒンシュクを買うのは恐怖だ。「あーあ。また〇〇のせいで止まったよ」非難される盛り下げ役にはなりたくない…。
突入するのも恐怖、それを維持し続けるのもプレッシャー。なんでみんながあんなに複雑なことをうまくやっているのかわからないのだ。

コミュニケーションも同じで、何を話したらいいかわからないし、なぜみんながうまくやっているのかわからなかった。自分だけうまく会話に入れてないと、置いてけぼりの劣等感を感じる。盛り上がっているのに、なぜそれが盛り上がっているのかわからない時の孤独感。自意識が暴走して、「自分は今、うまく喋れているかな、なんて考えてたらちゃんと喋れないぞ、なんて考えてたら…」と考えながらしゃべるので、自分でも何言ってるかわからない混乱。自分が好きなことや情熱を持っていることを、笑いのネタにされている時の居心地の悪さ。普段色々と考えているのに、人前だと何を話したらいいか思い浮かばなくて目をパチクリするしかない無力感。そして、「なんであんな事を言ってしまったのだろうか。嫌われた絶対」と家で行う一人反省会。
このようにネガティブエモーションを全身に浴びるため、人の輪に入るのは苦痛だった。

しかし、人の輪を端から見ていると、とてもその輪が楽しそうに見えてしまう。その集団が羨ましくて、そこに飛び込んで一緒に笑えあえたら「ちゃんとした人」になれそうな気がする…。そんな幻想を抱いて、また大縄跳びの回転の中に飛び込むのだった。

(文・ノイ)

——————————

紙面版ご購入はこちらをクリック

ひきこもり新聞をサポートして下さる方を募集しております。詳細はこちら
更新情報が届き便利ですので、ぜひフォローしてみて下さい!
Twitter
Facebookページ