ひきこもってゲームばかりしていたワケ-『引きこもり』のエスノグラフィー


(文・喜久井ヤシン)

ゲームがなかったら自殺していた

「今日は8時間しかなかったな」…、「今日は我慢して6時間だけにしよう」…という、そんな十代の毎日だった。
私のもっとも若くいられた、貴重なはずだった時代は、テレビゲームによって2万時間以上をついえさせるものだった。
七歳頃から教育の場に通っていなかったし、親が共働きだったので、昼間のテレビの前は自分だけの専有空間だった。
少しの読書 が彩りを添えたにしても、私は歳月を、任天堂やソニーの一人用プレイのゲームに蕩尽(とうじん)した。
部活やアルバイトで忙しい日々を過ごすのでもなく、難しい大学に受かるための勉強でもなく……。

テレビゲームによって過ぎた年月には、強く後悔させるむなしさがあって、私の十代を失わせた主犯のような憎しみの感覚もある。
けれどテレビゲームがなかったなら、私はぐちゃぐちゃの現実に対して、混乱して、耐え切れずに、たぶん自殺するほかなかったと思う。
その意味では、テレビゲームが十代までの年月を失わせたにしても、二十代以降の年月を与えたということではあった……。

ゲームの魅力は即効性

何年も家で過ごしていたころの「私」の昼には、一人きりの静止したリビングが待ちかまえていた。
洗顔、着替え、食事、排泄とか…それら生活の基礎をすませられたなら、私は制約のない「時間」に放り出される。
予定のない一日が始まってしまうと、私は自由ではいられなくて、「勉強ヲスルベキダ」…「労働ヲセネバナラナイ」……といった頭痛みたいなプレッシャーに襲われる。
私は何年もくり返し、時にはほとんど発狂的な状態にまでなりながらこの感覚に見舞われていて、その狂気的なものを防御する手段がテレビゲームだった。

精神安定剤を口に入れるみたいにして、機体にソフトを挿入したら、ゲーム 画面が起ち上がる。始めてから数十秒で、RPGなら戦闘に入っていて、レースゲームならフラッグが上がる。

どんな遊びでも文化でも、娯楽のピークにとどくまでのゲームのスピードにはかなわない。映画や本、スポーツや美術鑑賞、アウトドアの娯楽や人付き合い……それらが楽しさを提供するまでの速度は遅すぎるし、主体的な意欲が問われてしまう。ゲームは一瞬でピークにまで到達して、そこからクライマックス、クライマックス、クライマックスの連続になる。

同じ家で何年も過ごしていると、室内に興味を起こさせる物はない。知覚させるものがなくなって、世界はモノクロの静物みたいに固まっているけれど、ゲーム機だけは新しい興奮を提供しうる物として、燃え立つ色をもってそこに ある。

そして「……スベキダ」「……セネバナラナイ」の混乱を鎮痛させてくれるだけの没頭に、一瞬で連れ去ってくれる。
それで私は新しく陽の昇った一日を、爆発や魔法でできたゲーム画面に矮小化させて、それからの眠気が高まるまでの十数時間を潰す……。それが私の毎日だった。

ゲームの中では、私のために世界が創造されている

基本的なRPGだったら、どれだけの人間がゲーム内に設定されていたとしても、たった一人の「私」(プレーヤー)のために全世界が創造されている。
世界のすべては「私」が基準になって出来ていて、 人々(キャラクター)も、敵の強さも、手に入るアイテムも、すべてが「私」一人のために存在する。

ゲーム内では100%の確率で事件が起き、「私」は強制的に巻き込まれるけれど、それがどんなにシリアスでも、100%解決できる問題として存在する。
すぐに生きかえられるという点で、「私」は不老不死になっているし、苦難を乗り越えてハッピーエンドを迎えた人々は、もう二度と不幸せになることはない。
…ゲームの世界はまるで、一人の人間にとってのユートピアみたいに創られている。

現実はゲームのようにはいかない

………そしてそのユートピアは、現実がそうあってはくれないことの反転でもある。
世界が私のためにあるわけではないってことは、幼いころから叩き込まれているし、私が世界から望まれていることなんかない、っていうことも知っている。
生身の私にベホマやケアルガが効くわけもなくて、現実の物語はバッドエンドになりやすい。

私が七歳で学校に行かなくなったとき、それまで過保護なくらいに優しかった養育者や担任教諭は、関係性をまるごと覆すみたいにして、私の「敵」へとひるがえった。
それは、どれだけ信頼できると感じる人や、誰でもが所属して いるような大きなシステムであっても、100%確実なものなんてないと思わせる外傷になっている。

東北での甚大な震災が例になるけれど、地面さえ100%の信頼ができなくて、あたりまえの明日がやってくる確率も100%ではない。

私の教育マイノリティの経験は、絶対的な存在の親も、国家的なシステムも、一つの要を抜けばあっけなく覆ってしまうと教えられた、世界への不信の教育になっている。

現実はどんなオープンワールドよりも複雑で、ストーリーを劇的に変える武器アイテムも選択肢も出てこない。
最低レベルの「私」が、最低レベルの「敵」にも敵わないで、しかもクリアする手立てが何もないまま、立ち尽くしている……。

……この世界に、私は本当は産まれてこなくてもよかった ……という平凡な事実と向き合わないためにも、私はまた、一人でテレビゲーム始める。

以上

更新情報が届き便利ですので、ぜひフォローしてみて下さい!
Twitter
Facebookページ
読みやすい紙面版のご購入はこちらをクリック