『何もしていない』けど疲れ果てている理由-『引きこもり』のエスノグラフィー



(文・喜久井ヤシン)

『何もしていない』けど 疲れ果てている

私は、疲れている…。……疲れ果てている。
客観的な事実としてだったら、食事も睡眠もとって、快適な室内にいて、着古しの服で、柔らかなベッドに横たわっている……ただそれだけの健常な態度のはずだけれど、心身の内実には深刻な疲労感が満ちている。
台所やトイレに行くための数メートルの距離を動こうとしても、体は緊迫感のない泥みたいになっていて、全身に及んでいる強い虚脱感を押し返すことができない。
平日の昼の光があたたかく室内を照らしていても、私は一日の時間を怠惰な姿勢のままで、生活も思考力も投げ出してぐったりとなって過ごしてしまう。
皆が働いている時に、お前は何もしていないのだ」…なんて叱責が内側から聞こえてくるけれど、それに対抗できるだけの気力もなく、私は慢性的な意気消沈に浸ってしまう。

自分が何ヶ月・何年と同じ部屋の中で寝ていても、世の中が苛烈な速度で流れていることは、心的な痛みを伴って理解していた。
12歳なら中学校へ…15歳なら高校へ…18歳なら大学か就職へ…そして20代の半ばにもなったら、当然社会に出て自立をして……。何百万人・何千万人の人たちが作る流れをあびながらも、自分はその渦の群れからあぶれて、川底のへばりついた藻屑みたいに、停滞したみじめな年月を送っている…。

流されないためにいる体力の消耗

小学校のプールの時間で、こんな遊びがなかっただろうか…皆が輪になって同じ方向にぐるぐる回って歩くと、プールの中に水力が生まれて、人工の流れるプールができあがり、それからしばらくは誰も歩かなくても流れが維持される…水底に足をつかなければ、プールの中で自然に体が流されていく、という集団の遊び。

この社会でも、皆が特定の方向へと動いていく慣性の中にいて、踏みとどまるための足をつかなければ、急流にあって全員が同じところに流されていくもののように思う。
「お前は何もしていないのだ」、という自責を、私は幻聴的なくらいはっきりと聞いてきたけれど、「何もしていない」ことが体力の消費を抑えられるわけではない。
激しく流れている水の中なら、皆と同じ方に流されていくことよりも 、同じところで足を踏んばり、留まっていることの方が体力を使う。
私は流されていくことではなくて、止まっているための労力で心身がへとへとになってきたみたいに思う。

応援されていないマラソンを走るみたいに

ただ、物事をおこなえなくなるくらいの疲労感の原因には、身体の具合よりももっと根の深いところで、私をからっぽにしてきたものがある。
私の疲れの感覚をマラソンか何かのスポーツでたとえるなら、筋力がない疲れとか、難路を走っている疲れとかよりも、誰からも応援されていない疲れみたいなものがある。
入学や就職で舗装された流れは、人々が声援を送る大きな公道みたいに作用して いる。
分かりやすい「ふつう」な道筋で、そこを進んで行くのが一番楽だし、周りの人にとっても、子供が正しい道を通っているのだと安心できる。

…だけど教育マイノリティだった私の道筋は、ルール違反を犯していたらしく、身近な大人たちはくり返し矯正しようとしていた。
私の走っていく大気には、周囲の人たちによる怒りや悲嘆がこもっていて、ガスが充満しているみたいに、そこでは体の機能が低下して自分の道を行くことをできなくさせる

私の進まねばならなかった道筋に、公の期待の込められた声援はなかった。
私が囲まれていたのは…何というか……応援の反対のもの………罵声や妨害ほどではなくても、もっと薄い、世の名からの積極的な無関心みたいなうっすらとした否定だった 。
私は力を込めて走っていくことができなくなって、疲れきった、トボトボとした足取りになるほかなかった。

本やネットで教育マイノリティを励ます人の言葉があったとしても、それは「遠回りをしてもいい」とか、「立ちどまる時間も必要」とか、ゴールまでの謎のコースが前提してあって、私は結局のところ走者として間違っているらしかった。
私には自分の行く道の他に、通りようがなかっただけなのだけれど……。

それとも心の強い人なら、気力旺盛に走れるのだろうか?沿道を大勢の人たちが囲っているのに、一人も応援してくれる人がいない…人々は目をそむけているか、存在に気づいている人でもヒソヒソと自分についての誹謗(ひぼう)を交わしていると感じられる……そんな果てしない人生のマラソンでも?

走っていくことの身体の疲れよりも、走っていくための自己効力感のなさが足を重くさせてしまう。
それはひどく耐久力のいる道で…。でも、私がこれまで通ってきて、これからも通らねばならない道筋は、そんな長距離でしかないように思う。

以上

更新情報が届き便利ですので、ぜひフォローしてみて下さい!
Twitter
Facebookページ
ご購入はこちらをクリック