【イタリアからのメッセージ】 ひきこもりは何であり、何ではないか。


(文・画像・マルコ・クレパルディ / 訳・ぼそっと池井多)

<筆者プロフィール>マルコ・クレパルディMarco Crepaldi:
ミラノ在住の若い社会心理学者。イタリアにおけるひきこもりの増加に対応するべく、イタリア版「ひきこもり新聞」ともいうべきウェブサイト「Hikikomori Italia」を立ち上げ、国内約170のひきこもり家族の連絡会を主宰している。

「ひきこもりは何ではない」という考え方が必要な理由

ひきこもりという現象がだんだん関心を集めている。インターネット上ではひきこもりについて論じた記事が増えており、近年はテレビでもこの問題について繰り返し議論されるようになった。
この関心は好ましい。なぜならば、ひきこもりという現象に人々がもっと気づきやすくなり、敏感になるのを助けてくれるだろうから。
しかし、事前に十分な情報を集めることもなく、このように複雑な問題を扱ってしまうと、簡単に間違えたり、表面をすべるだけであったり、誤った情報を広めることになってしまいがちである。
ひきこもりは、よくそれとは関係のない病気と誤解され、その現象をめぐる多くの混乱を引き起こし、その結果、ほんとうにひきこもりの状態にある人がひきこもりだと認識されないままになっていたりする。
そのために、「ひきこもりが何であるか」を理解する前に、「ひきこもりは何ではないか」という見方を確立しておくことが大切なのである。

ひきこもりはインターネット中毒ではない

ひきこもりがインターネットをよく使うのは孤立しているからであり、ひきこもりの原因がインターネットの多用というわけではない、と考えなければならない。
ひきこもりという現象は、日本ではパソコンの普及よりもずっと早い時期から起こっていた。ということは、インターネットが登場する前は、ひきこもりは絶対的に孤立していたわけである。
このように考えれば、ひきこもりがインターネットを使うことは、肯定的に解釈できるであろう。なぜならば、インターネットというものは、それ経由でなければ人がほんらい持てないような、社会的な人間関係を開拓させてくれるからである。

ひきこもりはうつ病ではない

多くの人は、ひきこもりが孤立しているのは、うつ病である結果にすぎないと考えている。私たちは、なぜこれが偽りの信念であり、ピント外れな考え方であるかについて、これまで話し合ってきた。
まず、2013年、日本の厚生労働省から、「ひきこもりは病気ではない、うつ病とは違う」と表明されている。 研究者はじっさいに、他の病気の前に、そしてそれとは別に発症する「初期ひきこもり」という状態が存在することを証明した。それは、いかなる既存の精神障害も持たないのに社会から撤退している状態であった。

ひきこもりは社会恐怖症ではない

ひきこもりの孤立がうつ病に起因するものではないのと同じく、たとえば広場恐怖症(広場や公共の場所などへ恐怖をいだく病気)のような社会恐怖症に起因するものでもない。
長いあいだ孤立していると、人はインターネットに依存するようになったり、気分が滅入ってきたり、家から出るのを恐れたりするようになる、ということは否定できない。しかしこれによって私たちは、インターネット依存、うつ病、社会恐怖などがひきこもりの原因であると言えてしまうだろうか? これらが、少年少女が部屋にとじこもってしまう理由なのであろうか?
答えは、明らかに「ノー」である。

ひきこもりとは何か

ひきこもりの定義(案)

ひきこもりとは、近代的な個人主義社会に典型的な、
社会における自己実現という過度な圧力に反応して
活性化される人間の対応戦略である。

このひきこもりの定義は、私自身の研究の結果、ひきこもり現象について繰り返し考えてみた結果であり、科学的研究、書籍、雑誌に由来するものではない。これは公的なひきこもりの定義ではない。

もっと詳しくいうと…

社会における自己実現の圧力とは、たとえば、「良い成績を取らなければならない」、「安定した仕事を見つけなければならない」、「恋人を見つけなければならない」、「面白くて、運動的で、魅力的でなければならない」といったことである。

これらの圧力は、明らかに将来について多くが期待される青春期や青年期の時のほうが強くなる。男性も女性も若いときに、両親、先生、同僚から受ける期待と現実との間に生じるギャップを埋めなければならないことに気づく。このギャップが大きくなりすぎると、無力感、コントロールの喪失、失敗を体験することになる。かわりに、これらの否定的な感情は、社会的な期待をかけてくる大人たちに対する拒絶といった態度へむすびついていく。

ここまで述べてきたように、期待をかけてくる源は、親、教師、仲間、そしてもっと一般的に社会そのものであったりするので、少年少女は自発的にそれらから遠ざかる傾向を持つようになる。このため、両親と話すことや学校へいくことを拒否し、親密な人間関係を維持したり社会的なキャリアを積むことを拒んだりするのである。こうして、彼らの痛みの源に向かって憎しみの感情をいだき、やがてそれらから撤退し、自分だけで孤立することを選んでしまうのである。

 

<訳者註> これはマルコ・クレパルディ氏が主宰している「Hikikomori Italia」の記事から、筆者自身がイタリア語から英語に訳したものを、許諾を得て日本語に翻訳させていただいたものである。その際、機械的な逐語訳ではなく意訳の持つ自然さを優先した。文中に書かれているように、見解は筆者個人のものであり、訳者や「ひきこもり新聞」を代弁するものではない。イタリア語原文は以下を参照のこと。http://www.hikikomoriitalia.it/2016/02/cose-e-cosa-non-e-lhikikomori.html