「孤独論」著者 田中慎弥氏インタビュー


強い人間は小説を書かない

 

木村:「孤独論」を読んで思ったことは、自分の人生を自分の足で踏みしめていく、その手応えをしっかり持って相手に振り回されず歩んでいくことが大切なように感じたんですけれども、田中慎弥さんがそういう強さを持てたのはどうしてでしょうか。

田中:強いとは自分では思わないですよ。強い人間は小説を書かないと思いますから。小説って弱い人間が書くものだと私は思います。
世の中でちゃんと働いて振り回されて、くたくたになりながらもやっていける人が強い人だと私は思うんです。私は振り回されるほど外部と接触してこなかったわけです。

木村:本の内容に入ってしまうんですけど、「無力感に浸れ」と書かれていますが、「ダメなやつだ」と言われたとしても、そういう自分も受け入れて、それでも前に出るということでしょうか。

田中:そうですね。無力感ってどっかでやってくるものなんですね。ただ、ある程度のところまでやっていかないと、その「無力」ってのは得られない訳です。私が自分を「無力だ」って思ったのは、仕事を始めた時からですから。

何もしないで無力感を持つっていうところには行かない。なので、何かをやってみると打ちひしがれるっていうことはあるんでしょう。打ちひしがれたって構わないので、そこまで行ってみた方が、まあ面白という感じですかね。人生面白い方がいいんで、無力だなって思うところまで行ければいいということでしょか。

 

信頼できる人を見つけて頼る

 

木村:今、ひきこもり界隈では、無理やりひきこもりを引きずり出して寮に入れ、就労させようとする業者がいます。ひきこもり当事者からすると、それはちょっと違うんじゃないかと感じますし、自分の生き方を否定されるような気がします。だからこそ、ひきこもり当事者の声を新聞で発信して行きたかったのですが、この点についてはどう思いますか?

田中:外部との接触は細々とでも何か持っていた方が絶対いい。暴力的介入というのは論外ですが、外部と接触しながらなんとか一歩二歩出ていければいいと思います。それができないとか、それを拒絶するのであれば、今度は自己責任度が高くなると思うんですよね。
暴力は論外として外部は頼った方がよくて、それを拒否するのであれば「自分で何かやってください」としか言いようがないですね。

自分なりの生き方を何か模索するのであれば、自分一人でやれる範囲でやった方がいいし、それができないのであれば信頼できる相手を見つけた上でサポートを受けることになると思います。そこも出会いの運不運がひょっとしたらあるかもしれないですけれども、自分一人の力で何かできるのが一番いいのかもしれません。

何か足掛かりくらいは自分で見つけてください。それが無理なら信頼できる人を見つけて頼った方がいいですよね。その方が安全だと思います。

 

危険な状態だった

 

木村:僕はひきこもっていたときにどうしても人と繋がりたいと思ってしまったんですけど、田中さんは人と繋がりたいとは思わなかったんですか?

田中:私が高校を卒業する頃はもちろんネットというものはそれほど普及していなかったし、その後もそういうものには触れずに来たんですね。
それで、不安だということは全く無かったです。母がいましたし、母を通してそこに窓口があるんだしみたいな感じはなんとなく持っていました。
別にそこを通じて積極的に誰かと行き来することはないです。ただ友達と全く連絡を取らなくなる。これからどうなるのかなとは思いました。
まあ、つながっていたほうがいいんでしょうけど、しかし自分はそうではなかったので、生きようが死のうがそれは自分の責任だと私は思ったんですね。
このまま朽ち果てるならば、それはそれでいいやとどっかで思っていたところはあるので、危険な状態であったとは思いますね。
そこから脱出して作家になったからそれが解消されたかって言うと、この本の中にもちょっと書いてありますけども、危機的な状況はその後もやってきているので、覚悟が自分では必要だったという感じでしょうか。

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