私が生きていてもいい時間が続くのか
~ある四十代女性ひきこもり当事者の生の声~


 

 

精神医療と生活保護につながって

ぼそっと池井多︰そのとき、おいくつでしたか。

瀬戸:二八歳です。私は摂食障害の症状である過食などもいちおうは通過したんですけど、あまりハマれなくてすぐ終わりました。
だから精神医療につながった本当の理由は、摂食障害というよりも
「人生が立ちゆかなくなったから」でした。
東京にも頼れる人は誰もいないし、うちの両親もお金を出せる状況ではなかったので、医療機関のケースワーカーに相談したら「生活保護を受けましょう」ということになりました。
生活保護を受けられて、初めて私はすごくほっとしました。「これで安心してひきこもれる」と思ったのです。もうこれから食べるためだけに擦り切れて働くという、あの苦しみを味わわなくても、ひきこもって生き延びることを許されるというのは、私にとって本当にありがたいことだったのです。

ぼそっと池井多︰生活保護を受けはじめてから一八年間、四六歳の現在まで、生活はあまり大きく変わっていませんか。

瀬戸:大きく変わってはいませんが、二十代、三十代は、心のどこかで「ずっとこのままではいけない」と思っていて、人の目もすごく気になりました。「精神医療につながっているから何とか許してもらえているけれど、そうでなかったら、とてもじゃないけど自分の生き方なんて許されないのだろうな」と思っていました。だから私は、下へ下へ自分を低くしていました。「自分はこんな人間ですが、これだけ頭を低くするのでどうか見逃してください」という気持ちでした。
ところが最近、私と同じように、ひきこもりで生活保護受給者で精神医療につながっている人たちのコミュニティに関わるようになって、「なにも不必要にへりくだることはないんだ。私は私でいいんだ」と思うように変わってきています。
以前の私は「このままではいけない」と口では言いながら、「本当はずっとこのままでいたい」という本音があったので、そのギャップから罪悪感を覚えていたのでしょう。外へ向かって言い訳のように、「このままじゃいけないんだよね。あたし何とかしなくちゃいけないんだよね」と言っていたのだと思います。

 

ひきこもるために作業所へ

ぼそっと池井多︰就労とか結婚とか、社会の一般的な生活形態に、自分を押し込めることは考えましたか。

瀬戸:結婚は考えませんでした。なぜか私にとって結婚はつねに、選択肢として存在しませんでした。「自分にはできない」と諦めていたのではなく、「自分には
関係ない」という感じでした。
別に結婚というものがこの世にあっても構わないんですよ。でも自分が何かを選ぼうとする時に、そこに結婚という選択肢は入ってこないです。
でも、就職はどうでしょう…。例えば福祉事務所の方の勧めで、作業所に行ったりはしてましたけども、そこから就労につながっていくとは思えませんでしたし、私としても「少しでも自分が正当性を持ってひきこもっていられるように、作業所ぐらいは行っていこう」という気持ちでした。このひきこもり生活で一日でも長く生き延びられるように、必要な外面は整えておこうということで、作業所へも行ってみたのです。

ぼそっと池井多︰以前から瀬戸さんを存じ上げている私から見ると、瀬戸さんがときどき本格的にひきこもるのは、けっして怠惰や作為によるものではなく、気質や成育歴などからもともと必然性があると思うのです。
つまり、瀬戸さんのひきこもり状態にはもともと必然性がある、と。でも、瀬戸さんは、そこへ外からあれこれ正当性をもたせようとして苦労しておられるように見える。そこがとても考えさせられます。
ひきこもりとして生きていくことに関して、もっと社会から承認して欲しいという気持ちはありませんか。

瀬戸:あります。高校の頃のように、あまり人と関わらなくても、それが一つの個性として受け容れられて、よい意味で「ほうっておいてもらえる」ような存在の仕方で、コミュニティの中で存在することが許されればいいなと思います。ひきこもっているからといって仲間外れになったりせずに。

 

何日もお風呂に入っていないと…

ぼそっと池井多:ひきこもって何日もお風呂入ってないときには、「いま出かけていくと臭いんじゃないかな」などと考えて、さらにひきこもるようなことはありませんか。

瀬戸:そうですね。私は、ほんとに鬱になって周りをシャットアウトしてしまう時期が、一ヶ月から三ヶ月ぐらいの周期でやってくるんです。ひどい時は半年ぐらいひきこもらないと、受けた刺激を精神的に消化できません。消化する時間も必要だし、受けた刺激によって、定期的に鬱になるのです。
そういうときは、本当にお風呂に入れないですね。
一番ひどかったのが、二〇一二年からの三年間で、お風呂には百日近く入れませんでした。でも、アトピーがあるので、パジャマを変えたり、水で顔を洗ったりはします。お風呂にだけは、なぜか入れないんですよ。一番ひどい時はそんな感じでしたけど、たいてい鬱になってお風呂に入れない期間は、二週間から三週間は続きます。

ぼそっと池井多︰百日ぐらいお風呂に入れなかった時は冬でしたか?

瀬戸:夏でした。その時はある原因があって、特別に鬱になっていました。それ以外は、やはり寒くなるとお風呂に入れないという傾向が、たしかにありますね。

ぼそっと池井多︰お風呂入れない時は、外出はどうなりますか。夜にコンビニへ出ていくだけとか。

瀬戸:スーパーも行けます。夜十一時まで開いているスーパーがあるので。たいてい暗くなってから行くんですけれども。冬だったら帽子をかぶって行きます。帽子かぶっても、「まだちょっと臭いかも」という時は、ネットの格安サイトで買ったエッセンシャルオイルをつけて、においをごまかしていきます。におってるのは洋服なんですね。地肌そのものは、それほど臭わない。垢が服の方に移ってしまうからでしょう。だから、服は毎日取り替えてます。冬だったら、帽子かぶってコートとか着ちゃえば、お風呂に入っていないのはまずバレません。困るのは夏ですけど(笑)。

ぼそっと池井多︰服をこまめに着替えると、今度は洗濯が面倒くさくないですか?

瀬戸:私の場合、すごい鬱で寝込んでても、洗濯だけはするんですよ。「お腹が空いた、スーパー行かなきゃ」って思った時に、ついでに服も替えて洗濯もしちゃうんです。そこだけを見られて、
「鬱でひきこもってるわりに動けてるじゃん」なんて言われると「うっ!」って詰まっちゃいますけど。

ぼそっと池井多︰そういうツッコミはつらいですよね。「鬱って言ったって、ちゃんと動けてるじゃん」とか「ひきこもりって言ったって外出してるじゃん」とか、ひきこもりや鬱のことをわかっていない人は、そういうところが最初に目につくようで。こちらとしたら、どう説明していいかわかりませんものね。

瀬戸:ほんとにド鬱で、一日中、布団の中に溶けちゃうぐらい居たのは、私の場合、先ほども申し上げたように、二〇一二年の一時期ですね。それ以外の時期は、本やネットやドラマなど、何か逃避する対象があって、そっちに集中しているから、何も知らない人が見たら鬱に見えないかもしれません。本人としてはすごい鬱ではあるんだけど、何かに集中している状態に見えるでしょうから。人とは話したくないし、外にも出たくないし、治療機関にすら行きたくないし、治療者に話すことも思いつかないという日々ですね。

 

そんな支援をされるくらいなら死を選ぶ

ぼそっと池井多︰もし、ひきこもりがひどくなっている最中に、例えば支援団体の人が「買い物に困ってるでしょ。ヘルプが必要ですか」って来たりするのはどうですか。

瀬戸:嫌です!それだったら、何とかして這ってでも自分で買い物に行く方がマシです。私はネットスーパーが嫌いです。配達人が来ちゃうから。だから自分で深夜のスーパーに出ていく方を選びます。

ぼそっと池井多︰ひどいひきこもり支援団体になると、どんどんひきこもりを訪問したり、部屋から引っぱりだして、何かの作業をさせて「社会参加」だ、なんて言っている所がありますけど、ああいうのは迷惑ですよね。

瀬戸:迷惑以前の問題ですね。もし私がそういうことをされたら、逃れるために死を選ぶでしょう。そういう状況から逃れるために、冗談ではなく「もう死ぬしかない」って思います。想像しただけで怖いです。

ぼそっと池井多︰ガッツリひきこもってる最中は、インターネットはよく見ますか?

瀬戸:見ます。でも、ネットの中の人の気配が耐えられなくて、ネットさえできない時期もあります。

ぼそっと池井多︰先ほど、高校時代は貸しマンガ屋さんへ通っていたという話をされましたが、瀬戸さんはアニメはよくご覧になるほうですか。

瀬戸:子どもの頃に見てました。田舎なので、ちょっと東京よりも遅れて放送されてたと思うんですけど、比較的リアルタイムで「機動戦士ガンダム」とか観てた世代ですね。

ぼそっと池井多︰私の家ではマンガもアニメも禁止されていたので、私にはわからないのですが、アニメへの熱というのは、年齢を重ねていくにつれて変化するものなのですか。

瀬戸:三十代まではよく深夜アニメを観てました。やはりひきこもりなので、グッズを買いに秋葉原へ行ったりとか、イベントに参加したりとかはしませんでしたが。でも四十歳を境に、何となく自分の中でアニメへの気持ちは衰退していきましたね。それと前後して別の興味の対象が出て来ました。今はアニメではなく実写のドラマにはまっています。

ぼそっと池井多︰これから年齢を重ねていくにつれて、将来の不安というと、どういう事がありますか。

瀬戸:まず、今のところ一番の関心事は、このまま生活保護を受けて生きていけるか、ということです。「齢をとって自分のことが出来なくなったら」といった心配は、今はまだ考えてないかな。それよりも、このまま時代がどんどん厳しくなっていくと、生活保護を受けて、このまんま私が生きていてもいい時間が続くだろうかという事がいちばん心配です。

ぼそっと池井多︰それは確かに、私などの貧困層のひきこもりにとっては切実な問題ですね。どうもありがとうございました。

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こちらの記事は3月号特集「中高年のひきこもり」に収録されています。紙面版ご購入はこちらをクリック

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