(文・喜久井ヤシン)
子供がお金をもらうということ
…たとえば、芸術家とパトロンの関係があったとする。パトロンは作品作りのための資金提供者になって、「何でも好きなものを作っていい」と言う。
芸術家は言われたとおりに好きなものを作って、自分の表現を突き詰めたり、鑑賞者を楽しま
せたりする。それで芸術家はめでたしめでたし………には、ならないところが残る。
芸術家が問題にしなければそれまでのことではあるけれど、「好きなものを作っていい」 と言われたときに、、一つだけやりづらいことがある。それはパトロンを風刺対象にした、批判的な作品を出すことだ。パトロンを憤慨させたら、お金が出なくなって、作品作りができなくなってしまうかもしれない。
………たとえば……別の話にうつるけれども…、親が閉じこもりがちな子供に向けて、「何でも好きなことをしていい」と言ったとする。
大金ではないとしても、基本的な生活費を出資して、子供は自分の好きな物を買い、趣味を楽しむことができたとする。それで子供はめでたしめでたし………には、ならないところが残る。
本当に自分の好きなことを、快適におこなえるのだったらそれで良いし、金銭的な援助を打ち切られることに比べたら、はるかに安全な状況ではある。けれど、 親というスポンサーへの批判や攻撃はやりづらい。
憤激した親が出資金を取り下げるようなことがあったら、即座に子供の生活は成り立たなくなってしまう。
お金を受けとることは、スポンサーの権力を強くすることで、依存関係になる可能性がある。スポンサーに対して、受益者が憎悪を抱いていたとしても、表向きは何の問題もないみたいにふるまわないといけない。
親はたくさんのものをくれたけれど
「私」は養育者にとって、年をとってから産まれた一人きりの息子で、物質的な面で過剰に甘やかす対象だった。富裕ということはないけれど、三人世帯のくらしに家計的な支障はなくて、子供一人を物で溺愛するくらいの金銭の余裕があった。
ただ、「私」は幼少期からお金のかかるものを欲しがらなくて、学費と医療費をのぞけば、「私」にかかる日常的な出費はごく低いものだった。十代の頃は、人付き合いの薄さから出かけること自体も少なかったし、レジを恐れて買い物を避けた時期もあった。…たぶん、一つの会計で五千円を越える金額を支払ったのは、十代の内でほんの数回だったと思う。思い出せるかぎりでは、パソコンに約五万円を出したのが一番高い買い物で…、他には、ゲーム機のハード、自室用のテレビ、セール品でない衣服、……自分で支払ったものはそれくらいしか思いあたらない。
共感できる人がどれだけいるかわからないエピソードだけれど、衣食住に関わるあれこれを養育者の方から逐一買ってきたので、「私」は、「もうお菓子はいらない」、「もうシャツはいらない」、「もうお土産はいらない」…と、買い物されることに歯止めをかける必要があった。
養育者から過剰に物やお金をくれても、全然嬉しくはなくて、さっき言ったみたいに、スポンサーの権力を強めることとして、警戒しないといけなかった。スポンサーがいなければ生活ができなくなる依存と、スポンサーに対する激烈な拒絶感の両方があって、アンビヴァレンツな葛藤の中、「私」は物欲を抑圧したのだと思う。
溺愛とネグレクト
養育者は、引きこもり的な私に対して、直接否定する言葉を投げつけてきたわけではなかった。
けれど、学業も就労もない「私」のことを、ずっと静かに否定してきたように思う。
「私」がアルバイトや資格取得みたいな、社会的な物事に向かうときにだけ、養育者ははっきりと明るくなって、正しく善良なスポンサーとして応援を始める。
「私」がフリースペース通いや個人的な趣味を楽しもうとすると、養育者は沈黙して、距離をおいて、対話のない冷たさになった。…お金や物を無分別に与えられていても、それは個人的には、「愛情」とか「見守り」なんて言葉に値しなかった。「私」個人はちっとも大事ではなくて、世の中の規範にあう子供の姿とか、「良い子供」を育てた「良い親」の姿でありたいとかの、別の目的の出資だったのではないか。
「私」を本当に支援するというお金の出し方ではなくて、自分のための「安全な関係性」を買っていただけなんじゃないの……と勘ぐってしまう。金銭の提供自体は必要だ、ということをもう一度強調しておくけれども、「私」の十年のケースの場合、過剰な提供は、両極端な溺愛とネグレクトでできていて、「私」と養育者が向き合うための、対等な関係作りには役に立たなかった。
以上
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これはまさにその通りです。
そもそも、学生時代はお小遣いをもらえず、欲しいものはお願いして
母親からの許可が頂けなければ、手に入れることは出来ませんでした。
だから、基本的に親があまり抵抗のなさそうなものしかお願いはしていませんでした。
お願いするにしても、機嫌を良くして金品を出させるわけですから
ろくでもない人間関係なのは間違いなかったです。
少しだけ自由になれた気がしたのは、自分でバイトをしてお金をもらえていた時期。
所詮は実家暮らしなので、恐慌政治の中にはいたのですが
それでも密かにレジスタンスのようにコソコソでも好きなことにお金を使えることは
とてもうれしかったです。
でも、結局はコソコソしているわけですから、息は詰まります。
2度目のひきこもりになってからは、親が幾らか
お小遣いをくれるようになりましたが
結局は、好きに使えるわけではないので、あまり自由はないと感じます。
「何に使ったの?」
「私がお金入れてきてあげる(通帳チェックされる)」
極めつけは
「あんたにどれだけ、お金使ったと思っているの!?」
これです。
ひきこもりなど、所詮ペット扱いなのです。
願わくば、両親ともにさっさと(以下省略)
そして、いつまで世間や家庭内でスケープゴートをすればいいのか。
同じようなことを考えている方は結構いらっしゃると思います。